「平凡」
著者:二葉亭四迷
初出:1908年(明治41年)
青空文庫
二葉亭四迷44歳のときの作品。この年、二葉亭四迷はロシアに派遣され、翌年、帰国途上でで亡くなる。
タイトルは「平凡」、でも平凡な自分の滑稽味を存分に描き、 ロシア文学の翻訳を賃稼ぎと蔑み、自然主義や師匠の坪内逍遥に鋭い突っ込みをいれながら、嫌味にならず笑って読める。二葉亭は非凡な作家であったのだなと思う。
1.語り口がユーモラス!
少々長くなるが、「平凡」の冒頭の文章である。何とも情けないほど平凡な己れを書きながら、どこかユーモラスな語り口である。読んでいて嫌な気持ちにならない。思わず最後まで読んでみたくなる書き出しである。
「私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方は年よりも老けた方が好い。それだと無難だ。 如何して此様な老人じみた心持になったものか知らぬが、強ち苦労をして来た所為では有るまい。私位の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負げぬ何時迄も元気な人もある。或は苦労が上辷りをして心に浸みないように、何時迄も稚気の失せぬお坊さん質の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負げて、年よりは老込んで、意久地なく所帯染みて了い、役所の帰りに鮭を二切竹の皮に包んで提げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。 もう斯うなると前途が見え透く。もう如何様に藻掻たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙で内職の賃訳の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張らせる算段を為なければならぬ。 もう私は大した慾もない。どうか忰が中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時私に如何な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束ないので心細い……
が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆じめじめと所帯染みて了うのを見て、意久地の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧そ首でも縊って死ン了え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中に、自分もいつしか所帯染みて、人に嘲けられる身の上になって了った。 こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能く言ったものだと熟々思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里を相隔てている。もう如何する事も出来ぬ。 もう十年早く気が附いたらとは誰しも思う所だろうが、皆判で捺したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤う青年達も、軈ては矢張り同じ様に、後の青年達に嗤われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈老込んだに違いない。」
2.話の展開もユーモラス
二葉亭は明治人なのに、こんなユーモアあふれる場面を書くなんて…と驚いた。
主人公がたまたま下宿先の娘と二人きりになったとき、なんとか相手に触れようとする。だが相手の娘が夢中になっているのは焼き芋。緊張している主人公と食欲のかたまりとなっている娘との対比が何とも面白い。
「前にも断って置いた通り、私は曾て真劒に雪江さんを如何かしようと思った事はない。それは決して無い。度々怪しからん事を想って、人知れず其を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券を買った人が当籤せぬ先から胸算用をする格で、ほんの妄想だ。が、誰も居ぬ留守に、一寸入らッしゃいよ、と手招ぎされて、驚破こそと思う拍子に、自然と体の震い出したのは、即ち武者震いだ。千載一遇の好機会、逸してなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘に雪江さんの部屋の前へ行くと、屈んでいた雪江さんが、其時勃然面を挙げた。見ると、何だか口一杯頬張っていて、私の面を見て何だか言う。言う事は能く解らなかったが、側に焼芋が山程盆に載っていたから、夫で察して、礼を言って、一寸躊躇したが、思切って中へ入って了った。
雪江さんはお薩が大好物だった。私は好物ではないが、何故だか年中空腹を感じているから、食後だって十切位はしてやる男だが、此時ばかりは芋どころでなかった。切に勧められるけれど、難有う難有うとばかり言ってて、手を出さなかった。何だかもう赫となって、夢中で、何だか霧にでも包まれたような心持で、是から先は如何なる事やら、方角が分らなくなったから、彷徨していると、
「貴方は遠慮深いのねえ。男ッて然う遠慮するもンじゃなくッてよ。」
と何にも知らぬ雪江さんが焼芋の盆を突付ける。私は今其処どころじゃないのだが、手を出さぬ訳にも行かなくなって手を出すと、生憎手先がぶるぶると震えやがる。」
3.二葉亭語録の数々
二葉亭の言葉の端々には、面白みと言うべきか、衝撃と言うべきか、強烈なものがある。たとえば、その一つ
「私の身では思想の皮一枚剥れば、下は文心即淫心だ」
文心即淫心…何とも忘れられない言葉である。
4.二葉亭と翻訳
二葉亭は日本の文芸翻訳のパイオニア。
翻訳文学の前例がほとんどなかった時代、コンマの数まで合わせようとして翻訳した二葉亭の翻訳への思い入れは深いものがあったに違いない。でも翻訳について、二葉亭はこう卑下する。
「机を持出して、生計の足しの安翻訳を始める。」
「其後――矢張り書く時節が到来したのだ――内職の賃訳が弗と途切れた。」
二葉亭の時代から、翻訳が手間ひまのわりに儲からない仕事であったとは。 翻訳に真摯に取り組んだ二葉亭なのに、「生計の足し」とか「内職の賃仕事」扱いで卑下したのは何故なのだろうか?
手間ひまかけて翻訳をして何とか異国の文学を日本語で表現したい…二葉亭の心にあった筈のこうした憧れ…それを語らせなかったものとは何なのだろう?
5.二葉亭と自然主義
藤村「破壊」、田山花袋「布団」がでた直後のことである。こんなこを書けば、自然主義にたいして思いっきり挑戦状を叩きつけるようなものではないか。自然主義が盛んになりつつある時代、二葉亭は文壇から決別しようとしているようにも思える。自然主義文学を「牛のよだれ」呼ばわりをしているのだから。
「さて、題だが……題は何としよう? 此奴には昔から附倦んだものだッけ……と思案の末、礑と膝を拊って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題が極る。
次には書方だが、これは工夫するがものはない。近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ。好い事が流行る。私も矢張り其で行く。
で、題は「平凡」、書方は牛の涎。」
6.二葉亭と坪内逍遥
主人公が作品を見せに大家を訪れる場面である。
この大家とは坪内逍遥のことではなかろうか?このとき坪内逍遥はまだ存命中である。自分の師にあたる人物をこうまで書いたからには、やはり二葉亭は文壇から立ち去ろうと心を決めていたのでは?
「某大家は其頃評判の小説家であったから、立派な邸宅を構えていようとも思わなかったが、定めて瀟洒な家に住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸の其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしい家で、文壇で有名な大家のこれが住居とは如何しても思われなかった。家も見窄らしかったが、主人も襟垢の附た、近く寄ったら悪臭い匂が紛としそうな、銘仙か何かの衣服で、銀縁眼鏡で、汚い髯の処斑に生えた、土気色をした、一寸見れば病人のような、陰気な、くすんだ人で、ねちねちとした弁で、面を看合せると急いで俯向いて了う癖がある。通されたのは二階の六畳の書斎であったが、庭を瞰下すと、庭には樹から樹へ紐を渡して襁褓(おしめ)が幕のように列べて乾してあって、下座敷で赤児のピイピイ泣く声が手に取るように聞える。
私は甚く軽蔑の念を起した。殊に庭の襁褓が主人の人格を七分方下げるように思ったが、求むる所があって来たのだから、質樸な風をして、誰も言うような世辞を交ぜて、此人の近作を読んで非常に敬服して教えを乞いに来たようにいうと、先生畳を凝と視詰めて、あれは咄嗟の作で、書懸ると親類に不幸が有ったものだから、とかいうような申訳めいた事を言って、言外に、落着いて書いたら、という余意を含める。私は腹の中で下らん奴だと思ったが、感服した顔をして媚びたような事を言うと、先生万更厭な心持もせぬと見えて、稍調子付いて来て、夫から種々文学上の事に就いて話して呉れた。流石は大家と謂われる人程あって、驚くべき博覧で、而も一家の見識を十分に具えていて、ムッツリした人と思いの外、話が面白い。後進の私達は何の点に於ても敬服しなければならん筈であるが、それでも私は尚お軽蔑の念を去る事が出来なかった。」
「某大家は兎に角大家だ。私は青二才だ。何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢の附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓が乾してあったとて、平生名利の外に超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。が、私は実際先生の貧乏臭いのを看て、軽蔑の念を起したのだ。矛盾だ。矛盾ではあるが、矛盾が私の一生だ」
7.自分の文学的野心も赤裸々に
文壇への野心、作品を前にしぶる大家、活字になったときに喜ぶ己れの愚かさ、お世話になった大家の先生にたいして手のひら返しをするような己れの振る舞い…すべてを綴る二葉亭、これこそ二葉亭が嫌っていた自然主義なのでは?
「自惚は天性だから、書上げると、先ず自分と自分に満足して、これなら当代の老大家の作に比しても左して遜色は有るまい、友に示せたら必ず驚くと思って、示せたら、友は驚かなかった。好い処もあるが、もう一息だと言う様なことをいう。私は非常に不平だった。が、局量の狭い者に限って、人の美を成すを喜ばぬ。人を褒れば自分の器量が下るとでも思うのか、人の為た事には必ず非難を附けたがる、非難を附けてその非難を附けたのに必ず感服させたがる。友には其癖があったから、私は友の評を一概に其癖の言わせる事にして了って、実に卑劣な奴だと思った。
何とかして友に鼻を明させて遣りたい。それには此短篇を何処かの雑誌へ載せるに限ると思った。雑誌へ載せれば、私の名も世に出る、万一したら金も獲られる、一挙両得だというような、愚劣な者の常として、何事も自分に都合の好い様にばかり考えるから、其様な虫の好い事を思って、友には内々で種々と奔走して見たが、如何しても文学の雑誌に手蔓がない。」
「二三日して行って見ると、先生も友と同じ様に、好い処も有るが、もう一息だというような事を言う。嘘だ。好い処も何も有るのじゃない。不出来だと直言が出来なくて斯う言ったのだ。先生も目が見えん人だが、私も矢張自分の事だと目が見えんから、其を真に受けて、書直して持って行くと、先生が気の毒そうに趣向をも少し変えて見ろと云う。言う通りに趣向をも少し変えて持って行くと、もう先生も仕方がない、不承々々に、是で好いと云う」
「兎も角も自分の作が活字になったのが嬉しくて嬉しくて耐らない。雑誌社から送って来るのを待ちかねて、近所の雑誌店へ駆付けて、買って来て、何遍か繰返して読んでも読んでも読飽かなかった。真面目な人なら、此処らで自分の愚劣を悟る所だろうが、私は反て自惚れて、此分で行けば行々は日本の文壇を震駭させる事も出来ようかと思った。」
「何だか先生夫婦に欺かれたような気がして、腹が立って耐らなかった。世間の人は皆私の為に生きているような気でいたからだ」
「もう先生に余り用はない。先生は或は感情を害したかも知れないが、先生が感情を害したからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様な軽薄な事は思わなかったが、私の行為を後から見ると、詰り然う思ったと同然になっている。」