坂口安吾「不連続殺人事件」「復員殺人事件」を読む前に、安吾先生のミステリについてのエッセイを読み、心に残った言葉をメモ。以下は安吾先生の文からそのまま引用。
『探偵小説について』
初出:1947(昭和22)年8月25日、26日発行
「探偵小説全般の欠点に就て、不満と希望をのべてみたいと思う」
「第一に、なぞのために人間性を不当にゆがめている。」
「人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。」
「第二の欠点は、超人的推理にかたよりすぎて、もっとも平凡なところから犯人が推定しうる手掛りを不当に黙殺していること。」
「第三の欠点はこれに関連しているが、つまり、探偵が犯人を推定する手掛りとして知っている全部のことは、解決編に至らぬ以前に、読者にも全部知らされておらねばならぬ、ということだ。 読者には知らせておかなかったことを手がゝりとして、探偵が犯人を推定するなら、この謎ときゲームはゲームとしてフェアじゃない」
「文学のジャンルの種々ある中で、探偵小説の文章が一般に最も稚拙だ。
呪われたる何々とか怖ろしい何々とか、やたらに文章の上で凄がるから読みにくゝて仕様がない。そういう凄がり文章を取りのぞくと、たいがいの探偵小説は二分の一ぐらいの長さで充分で、その方がスッキリ読み易くなるように思われる。
凄味というものは事実の中に存するのだから、文章はたゞその事実を的確に表現するために機能を発揮すべきものだ。」
「日本の探偵小説の欠点の一つは殺し方の複雑さを狙いすぎること」
「それにも拘らず、なぜ仕掛をする必要があるか、その最大の理由は、アリバイのためだ。
だからアリバイさえ他に巧みに作りうるなら、外れる危険の多い仕掛などはやらぬに限る。問題はアリバイの作り方の方にある。」
「謎ときゲームとしての推理小説は、探偵が解決の手がゝりとする諸条件を全部、読者にも知らせてなければならぬこと、謎を複雑ならしめるために人間性を納得させ得ないムリをしてはならないこと、これが根本ルールである。」
『探偵小説とは』
初出:「明暗 第二号」九十九書房
1948(昭和23)年2月20日発行
「推理小説ぐらい、合作に適したものはないのである。なぜなら、根がパズルであるから、三人よれば文殊の智恵という奴で、一人だと視角が限定されるのを、合作では、それが防げる。智恵を持ち寄ってパズルの高層建築を骨組堅く組み上げて行く。
十人二十人となっては船頭多くして船山に登る、という怖れになるが、五人ぐらいまでの合作は巧く行くと私は思う」
『推理小説論』
初出:「新潮 第四七巻第四号」
1950(昭和25)年4月1日発行
「すべてトリックには必然性がなければならぬ。いかに危険を犯しても、その仕掛けを怠っては、犯行を見ぬかれる、というギリギリの理由があって、仕掛けに工夫を弄するという性質でなければならぬ。」
「挑戦の妙味は、あらゆるヒントを与えて、しかも読者を惑わすたのしみであり、その大きな冒険を巧みな仕掛けでマンチャクするところに作者のホコリがあり、執筆の情熱もあるのである。十分にヒントを与えずに、犯人をお当てなさいでは、傑作の第一条件を失している。」
読了日:2017年9月1日