「お化うさぎ」
作者:与謝野晶子
初出:1908年「少女の友」
汐文社 文豪ノジュニア・セレクション
1908年といえば、日本の文壇でだんだん怪奇物が取り上げられるようになった時期だろうか?それにしても与謝野晶子も怪談を書いていたとは…と当時の怪談ブームに吃驚しつつ読んだ。
主人公の太郎さんが、女中の梅といっしょに庭を眺めていると白いものが見える。兎のようだが、兎にしては動きが変だ。太郎さんは「狸が兎に化けてきたのだ、きっと」と考えながらも、動じることはない。
それどころか「自分の方からいろいろのことをいってみて、この化兎に『私は狸でありながら兎になんか化けまして悪うございました』といわせようと思いました」と言う。立派というべきか、子供らしくないというべきか、よく分からない。こういうときに冷静に行動できる子供になりますように…という与謝野晶子の願いもあるような気がする。
それから太郎さんは「目が赤くない」とか「後ろ足が短すぎる」とか「前足が長すぎる」と難癖をつけることしばしば。ついには「兎は三つ口のものだ」と言い、「三つ口」の意味が理解できない狸が口を三つにしたり、四つ、五つに変えていく様は何ともユーモラスである。でも英訳されたら、この箇所はどう訳すのだろうか?
さらに太郎さんは「兎は腹鼓をうつものだ」と嘘を教え、それを信じた兎に化けた狸は腹鼓をうとうとするが前足が短すぎて届かない。
やがて狸は兎に化けたいと思う切ない胸の内を語り始める。
「私は坊ちゃん、皆がね、狸と兎という話になるとなんでも兎が好い、狸が悪い、兎はいい子だ、狸は悪い子だというものですから兎になりたくなったのです」
太郎さんたちからお菓子と蜜柑をもらって、狸もご機嫌になって「もう兎に化けたりしません」と言いながら帰る。
東氏の注によれば、兎の口の数が三つ、四つと変わっていく箇所はユーモラスでありながらグロテスクでもあるとのこと。私にはユーモラスさは感じられても、グロテスクさを感じるほどの怪奇感性はないなあ。
また、これも東氏が丁寧な注のなかに「カチカチ山」の狸について詳しい説明がある。思えば「カチカチ山」もずいぶんと残酷な話なのである。
読了日:2017年10月7日