『星あかり』
作者:泉鏡花
初出:1898年
12月2日鏡花怪談宴席で朗読される作品ということで読んでみた。
鎌倉のとある寺に宿泊していた「私」は、夜中に宿所をしめだされてしまう。宿所には山科という医学生が寝ているから、起こして開けてもらえばいいのだが、先ほど言い争いをしたから…と「私」は鎌倉の山道をさすらい、海へと出る。
その途中の風景が不安にみちているのが不思議ながら、紀行文のような作品だと思いつつ読んでいくと、最後に「私」が家に戻る場面でこの作品はドッペルゲンガーを題材にした作品であり、「私」と「山科」が同一人物だとわかる。
結末がわかり、もう一度再読してみると、旅先での不安に思えた描写だけれど、星のない空も、なぜか消えていく車も、縮まっている浜も、ドッペルゲンガーから生じた不安のようにも思えてくる。
何時の間にか星は隠れた。鼠色の空はどんよりとして、流るる雲も何にもない。
車も、人も、山道の半あたりでツイ目のさきにあるような、大きな、鮮な形で、ありのまま衝と消えた。
先に来た時分とは浜が著しく縮まって居る
姿を見られてはならない、音をたててはいけない、と思いながら歩く私の気持ちも、犬を怖れる気持ちも、ドッペルゲンガーの「私」の気持ちを巧みにあらわしている。
唯一人、由井ヶ浜へ通ずる砂道を辿ることを、見られてはならぬ、知られてはならぬ、気取られてはならぬというような思であるのに
誰も咎めはせぬのに、抜足、差足、音は立てまいと思うほど、なお下駄の響が胸を打って、耳を貫く。
我ながら、自分を怪むほどであるから、恐ろしく犬を憚ったものである
浜辺の船の船底にたまった水を見て、はっと我にかえる場面は見事だなあと思う。
船底に銀のような水が溜って居るのを見た。思わずあッといって失望した時、轟々轟という波の音。
夢かうつつかで魂がさまよう『星あかり』の朗読が楽しみである。
読了日:2017年11月12日