チェスタトン「マンアライヴ」二部二章第254回

大きな煙突の筒がくずれたのだから、私の混沌とした感情は頂点に達してもよかった。だが、本当のことを言えば、その結果ふと生じたものとは喜劇めいた感覚であり、慰みのような感覚ですらあった。思い出すことはできないのだが、この突然の押込み強盗を、心地よい空想へと結びつけるものがあった。そして私が思い出していたのは楽しくも騒々しい場面で、屋根や煙突がならんでいるその場面は、子供時代に道化芝居で見たものだった。どういうわけだか私を慰めてくれたのは、その場の非現実的な感覚で、まるで家が絵具で塗られた薄い板やボール紙でできていて、警官や老いぼれ道化役によって倒されることになっているかのようであった。

 

“The collapse of the big chimney-pot ought to have been the culmination of my chaotic feelings; but, to tell the truth, it produced a sudden sense of comedy and even of comfort. I could not recall what connected this abrupt bit of housebreaking with some quaint but still kindly fancies. Then I remembered the delightful and uproarious scenes of roofs and chimneys in the harlequinades of my childhood, and was darkly and quite irrationally comforted by a sense of unsubstantiality in the scene, as if the houses were of lath and paint and pasteboard, and were only meant to be tumbled in and out of by policemen and pantaloons.

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