『雨』
作者:織田作之助
初出:1948年(昭和13年)
大阪に生まれ、大阪で育った織田作之助の処女作。当時の大阪の雰囲気が漂い、とくに浄瑠璃が人々の暮らしにこんなにとけ込んでいたんだと伝わってくるのが何よりの魅力。
野心家の教員軽部は、つい手を出したお君と結婚することに。お君とその子、豹一の心の移り変わりも面白いが、やはり大阪人と浄瑠璃の関係が分かるところが興味深い。
軽部の倫理は「出世」であった。若い身空で下寺町の豊沢広昇という文楽の下っ端三味線ひきに入門して、浄瑠璃を習っていた。浄瑠璃好きの校長の相弟子という光栄に浴していた訳である。そして、校長と同じく日本橋五丁目の上るり本写本師、毛利金助に稽古本を注文していた。お君は金助の一人娘であった。
若い教員が浄瑠璃を習っていたのか、太夫さんではなく三味線さんに習うのか、浄瑠璃好きの校長の相弟子なんて今の接待ゴルフみたいなものだろうか…と興味はつきない。
金助は若い見習弟子と一緒に、背中を猫背にまるめて朝起きぬけから晩寝る時まで、こつ〳〵と上るりの文句をうつしているだけが能の、古ぼけた障子のように無気力なひっそりした男であった。中風の気があったが、しかし彼の作る写本は、割に評判がよかった、商売にならない位値が安かったせいもある。
写本師なんて仕事があったのだなあと、そのこつこつ写す姿が浮かんでくるよう。今でもいるんだろうか?
その年の秋、二つ井戸天牛書店の二階広間で、校長肝入りの豊沢広昇連中素人浄瑠璃大会がひらかれ、聴衆百八十名、盛会であったが、軽部武寿こと軽部武彦はその時初めて高座に上った。最初のこと故勿論露払いで、ぱらり〳〵と集りかけた聴衆の前で簾を下したまゝ語らされたが、沢正と声がかゝったほどの熱演で、熱演賞として湯呑一個をもらった。その三日後に、急性肺炎に罹り、かなり良い医者に見てもらったのだが、ぽくりと軽部は死んだ。
天牛書店ってこの前本を注文した店ではないか?古本の老舗なんだなあと知る。素人浄瑠璃大会に180人の観客が集まるなんて、しかも会場は古本屋の二階…なんか素敵な時代があったのだなあ…。お君と豹一の心の変化には疑問は多々あれど、古本屋の二階で素人浄瑠璃大会をひらいていた時代に心をよせて終わりにしよう。
読了日:2018年1月9日