初出:1925年(大正4年)新青年
少しずつ作品のあちらこちらに違和感を覚えてしまうのは、作者の意図にはまったのだろうか?
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々其為にしつらえた「赤い部屋」の、緋色の天鵞絨で張った深い肘掛椅子に凭れ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構えていた。
七人のしかつめらしい男が赤い部屋に集まってお話を待ち受けるという出だしからして違和感を感じてしまう。
さらに主人公の私はこう語る。
兎に角、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
退屈で退屈で仕方ない…という主人公が、こっそり企んだ計画殺人の数々について、冷静に淀みなく語ることにも違和感を感じてしまう。あの結末に結びつけるための違和感なんだろうか?それにしても、この語り口で結末をほのめかしてしまうのではないだろうか?
最初、妖しい雰囲気が漂っていた部屋だけれど…
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅な重々しい垂絹が豊かな襞を作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師を投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
最後、その妖しさを失った姿を晒すという意外さ…が面白いのだろうが、私的には妖しいものは最後まで妖しくあってほしい。つまらないものが妖しいものに変わる…という設定ならいいけれど。現実に引き戻されるという展開は好きではない。
そして、その白く明るい光線は、忽ちにして、部屋の中に漂っていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、曝露された手品の種が、醜いむくろを曝していた。緋色の垂絹にしろ、緋色の絨氈にしろ、同じ卓子掛けや肘掛椅子、はては、あのよしありげな銀の燭台までが、何とみすぼらしく見えたことよ。「赤い部屋」の中には、どこの隅を探して見ても、最早や、夢も幻も、影さえ止めていないのだった。
読了日 :2018年1月17日