2018.04 隙間読書 澁澤龍彥「高丘親王航海記」

初出:「文學界」昭和61年(1986年)8月号~昭和62年6月号

ITOプロジェクトの糸あやつり人形劇「高丘親王航海記」を観る前に読む。そして人形劇ならではの澁澤世界を楽しんだあとで、文字をとおして澁澤作品を読む楽しさはどういうところにあるのか考えてみる。

まず漢字二文字がならぶ各章の題が醸し出すイメージとその題にまつわる蘊蓄に耳を傾ける楽しさ。「儒艮」「蘭房」「獏園」「蜜人」「鏡湖」「真珠」「頻伽」…と読む前に章の題を眺め、あれこれ想像するだけで楽しい。


親王は澁澤自身のように思えることもしばしば。そのひとつがエクゾティシズムとの関わり方。親王にとってのエクゾティシズムは仏教であったが、澁澤にとってのエクゾティシズムはフランス文学であり、歴史であったのだろう。

親王の仏教についての観念には、ことばの本来の意味でのエクゾティシズムが凝縮していたにちがいないからだ。エクゾティシズム、つまり直訳すれば外部からのものに反応するという傾向である。なるほど、古く飛鳥時代よりこのかた、新しい舶載文化の別称といってもよかったほどの仏教が、そのまわりにエクゾティシズムの後光をはなっていたのはいうまでもあるまいが、親王にとっての仏教は、単に後光というにとどまらず、その内部にまで金無垢のようにぎっしりつまったエクゾティシズムのかたまりだった。たまねぎのように、むいてもむいても切りがないないエクゾティシズム。その中心に天竺の核があるという構造。(『高丘親王航海記』「儒艮」より)


この澁澤の文を写していて、ふと思ったのだが、この文はそのままフランス語の文に直しても、文法も、文の構造も問題なく翻訳できるのではないだろうか。澁澤はフランス語で考え、それを日本語におきかえ、絢爛たる漢字を散りばめた…のでは?ということも考えながら、澁澤作品を読んでみたい。

読了日:2018年4月9日

 

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