京の西山に住む西行の庵に咲く桜を見ようと花見の人々が訪れる。西行は人々をとおしながらも鬱陶しく思い、「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」と詠んだところ、桜の精の翁が西行の夢にあらわれる。翁は「桜の咎」という言葉をとがめつつも、西行との出会いを喜び、やがて夜明け頃、去って行く。
まず好きなのは、桜の精は春の宵のはかなさを謡いながら舞う場面。
春の宵のはかなさに時機をえることの難しさ、友を得ることの難しさも重ねる。繰り返される言葉のリズムも心地よい。うつろいやすさを語る言葉も美しい。。
あら名残惜しの夜遊かな。惜しむべし惜しむべし、得がたきは時、逢ひがたきは友なるべし。春宵一刻値千金。花に清香月に陰。
ああ名残惜しい 夜の遊楽であること。惜しめよ惜しめ、(何といっても)めぐり会いにくいのは好機、逢いにくいのは真の友であろう。春宵一刻値千金。花に清香月に陰。
次に好きなのは桜の精である翁が立ち去る最後の場面。
註によれば、「翁さぶ」は「老人らしくなるという意だが、ここは、もの静かで趣があるという意の「寂ぶ」が加味された表現」とのこと。「翁さびて跡もなし」という繰り返しには静けさと無常観がただよっているよう…26日の舞台が楽しみである。
夢は覚めにけり。嵐も雪も散り敷くや、花を踏んでは同じく惜しむ少年の、春の夜は明けにけりや、翁さびて跡もなし、翁さびて跡もなし。
夢は覚めてしまった。夜嵐も吹きやみ、落花の雪が散って一面に敷きつめたよう。その花を踏んでは 夢の中での夜遊を惜しむのだが、この春の夜は明けてしまったことだ。老人はもの静かに消えて 跡かたもない、『夢中の翁』の姿はひっそりと消えていって何の跡も残していない。
(原文、訳文は小学館の日本古典文学全集より)
読了日 2018年04月25日