初出:1959年5月~1960年4月 週刊スリラー
これだけ長い小説の内容でありながら、タイトル「白昼の死角」は、法の盲点をついて各種詐欺をおこなう主人公、鶴岡七郎の物語をずばり凝縮している。まずタイトルからして印象の残る作品である。
帝国ホテルに宿泊できる日本人はごく限られた層…など、戦後間もない社会を描いた風俗小説としても楽しめる。
法の盲点、心の盲点をついて詐欺を行う鶴岡の頭脳にも脱帽。ただ、手形とか使ったことのない私にはあまりよく分からない部分があったけれど。
ただ男も、女も詐欺を働いては、その金で肉欲やら華奢に走る…という人物像がワンパターンで、登場人物像はあまり楽しめないかな…。
女性がダイヤの光に眼をくらまされることは、「金色夜叉」以来、不変の真理だと、そのとき七郎はふわりと思った。
トリックに重点をおくからなのかもしれないけれど、どうも人物の捉え方がワンパターンなような…。
鶴岡七郎が詐欺を働く動機もいろいろ書いてあるけれど、動機となる登場人物の描かれ方が弱いせいだろうか、どうも素直に納得できない気もする。
「憎い…。個人的には、なんの恨みもないとはいえるが、とにかく今度の戦争をまきおこし、日本を四等国に追いこみ、僕たちの友だちを無数に戦死させたのは、彼ら―いわゆる明治人たちの責任だよ」
「だから、今度は僕がそういう青年層の代表として、明治生まれの人間の代表としての彼と正面から一戦をまじえようというのだよ。頭と頭、腹と腹で対決して、いわゆる戦前派の連中に、あっと言わせてやりたいのだ」
たしかに憎いだろうが、そういう思いが明治生まれの人間に詐欺を働こうとする動機になるのだろうか?
もはや彼には、黄金は必需品ではなくなっていた。それなのに、彼は犯罪、詐欺のための詐欺を求めだしたのである…。
途中、作者は上記のように説明しているが、鶴岡という登場人物がそういう心境になるのだろうか…とも疑問。
法は力、正義の仮面はつけていても、決して正義ではないのです。私のこの十年の生涯は、力に対する力の闘争でした。
最後に鶴岡はこのように振り返るのだが、詐欺のテクニックはすばらしいと思うけれど、それを「力に対する力の闘争」と説明されても納得できないかも…と思いつつ頁を閉じる。
読了日:2018年4月30日