2018.10 隙間読書 小二田誠二「死霊解脱物語聞書」
江戸時代の怪談「死霊解脱物語聞書」を小二田誠二氏が翻刻、現代語訳と解説をつけて白澤社より発行した本。
「死霊解脱物語聞書」は、残寿という僧によって元禄三年(1690年)に印刷、出版された。
今の茨城県常総市、かつての羽生村で実際に「菊」という娘に起きた憑依事件を、後の増上寺、祐天寺の祐天上人が静めた経緯について、祐天や事件を目撃した人から、残寿という僧が話を聞いて記録したもの。実話をまとめているという点で、怪談噺や怪談物語とは異なるもの。
少しばかりの田畑はあるけれど、容姿が醜い累。夫の与右衛門は畑仕事からの帰り道、累を淵につき落として殺害してしまう。その後、与右衛門は六人の女と再婚するけれど、妻は子供を産まずして次々と死んでいく。ようやく六人目のの女とのあいだに菊という娘をもうけたが、その娘に累の霊が憑依して…という話。
村人たちが祐天上人に頼んで累の霊を静めるけれど、累はいったん成仏して静まっては、何度も戻ってきて菊に憑依。「供養塔をたてろ」とか、「早くたてろ」とかイチャモンをつける。
怖くもあるけれど、そのイチャモンのつけ方が人間らしいというか、どこか滑稽味があって、こわいけどおかしい…という不思議な感覚に。たとえば
其時怨霊気色かわって、ああむつかしのりくつあらそひや。
小難しい理屈なんて知ったことか!
英国の小説を読んでいても、悲しい場面、怖い場面の筈なのに、どこか笑いのおきる場面がよくあって、そのユーモア感覚がなかなか理解するのが難しい。
日本の古典文学も、能にしても、浄瑠璃にしても、悲しい場面、怖い場面なんだけど、笑わせる場面があるように思う。このユーモア感覚は、英国文学と相通じるものがあるのではなかろうか?
さらに菊には新たな霊がとりつく。祐天上人が問いただせば、その霊は累の異父兄にあたる男の子の霊なのだと答える。兄は醜い容貌のため、母によって川に沈められた。その後、生まれてきた累の容貌は、兄とうり二つの醜さ。
「死霊解脱物語聞書」は、恨み、呪いのマトリョーシカみたいな記録談なのである。
作者「残寿」については記録がないようだが、どういう思いでこの話を記したのだろうか?
祐天上人の素晴らしさをたたえるため?地獄、極楽をつたえるため?
むしろ恨み、呪いのマトリョーシカみたいな人間の生きざまを伝えたかったのでは? だから筆者の名前も「残寿」、「残された命(恨み)」なのでは?
もしかしたら累の怨念が、この記録を残したのでは?という気すらしてくる。
この累の恨み、呪いのつらさ、切なさが人々の心に残って、三遊亭圓朝「真景累ヶ淵」、歌舞伎「法懸浜松成田利剣」「解脱衣楓累」、馬琴「新累解脱物語」が生まれたのだろう。
恨み、呪いという感情の強さを思いつつ、静かに頁をとじる。
2018年10月8日読了
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