1715年初演。近松門左衛門が63歳のときの作品。 「大経師昔暦」を 読んでみて「近松さん、なぜ?」と問いかけたくなったり、「近松さん、すてき!」と感心したり。本を読むそばから忘れていく私だが、300年前の作品なのに近松作品には忘れることのできない毒と華があるような気がする。とりあえず「近松さん、なぜ?」と「近松さん、すてき!」の一部分をメモ。
経師とは経巻・仏画を表装する人。大経師は経師のチーフとして朝廷御用を受け、大経師歴の発行権をもつ。今でいえばカレンダー製作業者なのだろうが、そこは江戸時代のことである。暦をつくる大経師は、商家とはいえ格の高い家柄なのである。
この大経師は禁中の御役人、侍同事の町人。 「大経師昔暦」
大経師の 以春 は、女中おたまをつけまわす。
以春むくむく起き上り。後ろ抱きにひつたりと。サア美しい雌猫捕まえたと。乳のあたりに手をやれば。アア、こそばあ。またしては〱、抱付いたり手をしめたり。 「大経師昔暦」
こういう文で学べば古典嫌いも減るかも……というくらいにリアルな文である。この女中の名前は「おたま」、後に意味のない悲劇的な死をとげることになる。だから猫の名前をつけたのだろうか?
猫にも人にも合縁奇縁(あひえんきえん)。隣の紅粉屋(べにや)の赤猫は。見かけからやさしう、この三毛を呼び出すも。声を細めて恥づかしさうに見えて。こいつが男にしてやりたい。「大経師昔暦」
最初のほうでリアルな猫描写が延々つづく。隣の赤猫をほめて、自分の三毛猫の男にしてやりたい……どうでもいいように思えることに筆を巧みに走らせ、ヒロインの「あたしの三毛猫の男にしてあげたい」という気持ちに、ヒロインに共感させてしまう。
女中のおたまのもとに夫・ 以春 が夜モーションをかけに通っていることをしらされた妻・おさんは、おたまの寝床で寝て夫を待つ。男がきた。だが朝になってお互いに相手を取り違えていたことに気が付く。夫だと思っていた相手は手代・茂兵衛。おたまだと思っていたのは、おさんであった。
近松は簡潔に、でもリアルに状況を描写する。
旦那お帰り。はつと消入る寝所(ねどころ)に、汗は湖水を湛えたり。
「大経師昔暦」
おさんと 茂兵衛 は逃避行へ。おたまの叔父、講釈師・赤松梅龍内の家の近くへと逃げ、おさんの両親と会う。その最後、おさん、茂兵衛の影が物干しに映って磔のように見える場面はなんとも不気味である。
二人見送る影法師、賤(しづ)が軒端の物干し。柱二本に月影の壁にあり〱うつりしは。 「大経師昔暦」
さらに叔父の家から首をだした「たま」の影もうつる。
内より、玉は潜戸開け、顔差出すその影の。同じく壁にうつりけり。あれまたここに獄門が。あさましや、この首の、その名は誰としら露。
「大経師昔暦」
最後にふたりは捕まってしまうが、そこへ叔父の 赤松梅龍内 がやってきた。
咎人は一人。すなはち玉が首討つて参るからは。両人の命、お助けくださるべし。 「大経師昔暦」
ここが最大の謎、「なぜなの、近松さん?」とその意図を問いただしたいところ。叔父は玉を可愛がっているし、すぐれた人物。その 赤松梅龍内 がなぜ?と思う。玉の首をみた役人は、証人の玉が死んだ今、おさんと茂兵衛の無実を証明できないと言う。
肝心要、証拠人の首を討つて。何を証拠に詮議あるべき。
「大経師昔暦」
今回、国立劇場での上演はここまでである。原作では、史実と違って、おさんと茂兵衛の命は坊主によって救われる。
尽きせず万年暦、昔暦、新暦。当年羊の初暦、めでたく。開き初めける。
「大経師昔暦」
とめでたく終わるのだが、 赤松梅龍内になぜ可愛い姪「玉」の首を とらせてしまったのか……? 私には謎のままである。ただ、すっきりしないところがあると記憶には残るが。
2019.02.04読了