昭和18年2月「文芸文化」初出(三島19歳)
題のとおり、中世において次から次に殺人をしていった殺人者の不思議な、でも美しい言葉にあふれた日記。殺めた相手は室町幕府廿五代の将軍足利義鳥、北の方瓏子、乞食百廿六人、能若衆花若、遊女紫野、肺撈(はいろう)人。
三島19歳のときの作品ながら、その生涯を貫いた二律背反のテーマがすでに美しく語られているのに驚く。 たとえば殺人者と船頭の次の会話。
「君は未知の国へ行くのだね!」と羨望の思ひをこめて殺人者は問ふのだった。
「未知へ? 君たちはさういふのか? 俺たちの言葉ではそれはかういふ意味なのだ。—失われた王国へ。……」
海賊は飛ぶのだ。海賊は翼をもつてゐる。俺たちは限界がない。俺たちには過程がないのだ。俺たちが不可能をもたぬといふことは可能をもたぬといふことである。
君たちは発見したといふ。
俺たちはただ見るといふ。
(三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」より)
「未知の国」とは「失われた王国」であり、「不可能をもたぬ」ということは「可能をもたぬ」など二律背反の切なさ、美しさ。
また殺人者がここで語っているのは「雲雀山姫捨松」なのだろうか? どの段なのかは分からないけれど、雲雀山姫捨松の世界が美しい言葉で再現されているのが嬉しい。19歳の三島が観たのは歌舞伎の方なのだろうか?
海賊よ、君は雲雀山の物語をきいたか。花を售(う)らんがための佯狂(ようきょう)に、春たけなはの雲雀山をさまよう中将姫の乳人の物語はたとしへもなく美しい。花を 售(う) らう、海賊よ。そのために物憂げな狂者の姿を 佯 (いつわ)らう。
(三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」より)
19歳のとき、すでに三島由紀夫のテーマ、関心は確立されていたのだと思いつつ頁をとじる。(2019.04.29読了)