2019年1月に柏艪舎より発行
カバーの見返しには、この本についてこう記されている。
「昭和20年8月22日の朝、前日に樺太から命からがら逃げてきた人々が乗っている引き揚げ船三隻が、相次いでソ連潜水艦の魚雷と艦砲射撃の標的にさらされた。泰東丸と小笠原丸が沈没、第二新興丸は大破し、千七百人を超える引揚げ者が犠牲となった。
彼らは何故、大戦終結直後に命を奪われなくてはならなかったのか。
日本人が忘れてはならない悲劇、「留萌沖三船殉難事件」を元に綴られた感動のドキュメンタリーノベル。」
本書は「留萌沖三船殉難事件」のうち、泰東丸の殉難者に焦点をあてたドキュメンタリー・ノベルである。
泰東丸事件は多くの人が命をおとし、しかも終戦直後におきた不可解な事件だと言うのに、本書「海わたる聲」を読むまで私は泰東丸事件のことも、 留萌沖三船殉難事件のことも知らなかった。北方領土問題でソ連に気を遣う政権のせいで、広く知られることもなく、忘れられつつある事件のことを本にして伝えてくれた作者・中尾則幸氏に、そして柏艪舎にまず感謝したい。
語り手の老人は、三十年前に泰東丸遭難者の無縁仏の記事にかかわった北斗テレビ通信員「鶴川康夫」。三十年前に取材した録音テープをおこして、無縁仏の身元を確認していく。高校生の美咲と翔太のふたりも、いつしか身元さがしに、泰東号事件にと真剣になっていく。
『海わたる聲』を語りすすめていく「鶴川康夫」に、作者は自身の姿を重ねているのだろう。鶴川が事件関係者から収録したテープは実際のものだそうで、胸に迫るものがある。
なかでも泰東丸生存者 林久枝(当時十三歳)が語る沈没時の風景はひときわ強烈に記憶に残る。
「私の母は砲弾を脇腹に受け、目の前で声もあげずに死にました。そのあと、私は海に投げ出され、大きな木の枝につかまりました。知り合いの鎌田さんの家族もいっしょでした。
大きな波がザブンとくる度に、小さな子どもがこぼれるようにして死んでゆくんです。そうしたら鎌田さんのお兄ちゃん(邦敏 十歳)が、お母さん(鎌田翠に君が代を歌おうって……。
今、考えても歌う気分じゃないでしょう。でもね、君が代を何人かで歌ったんです。そしてね、鎌田さんとこのお兄ちゃん、今度は『海ゆかば』を歌おうって……。みんなで泣きながら歌いました。お兄ちゃんは最期、小さな子どもを抱きかかえるようにして死んでいきました。」(中尾則幸『海わたる聲』より)
幼い少年が「海ゆかば、水漬(みず)く屍(かばね) 山ゆかば草むす屍)」と歌いつつ、海に沈んでいく姿はあまりに切ない。でも、この少年は終戦直後にたしかに「海ゆかば」を歌いつつ北の海に命を落としたのである。
証言テープは読んでいてあまりに辛い。でも最後、高校生の美咲と翔太が事件に関心をもち、なぜ罪のない子供や母親たちが命を奪われなければならなかったのかを考え、遺体の身元を突き止めようと必死になっていく。その若い行動力が、この作品の救いである。
最後に、泰東丸で沈んだ美少女・美智子と美咲が浴衣を着て、仲良く盆踊りを踊っている幻影を見る場面は悲しくも美しい。
〈そろそろ揃たよ どの子も揃った
そろて歌えば 月が出る
海の上から月が出る ほら月が出る
シャンコ シャンコ シャンコ
シャシャンがシャン
手拍子そろえて シャシャンがシャン♪
僕は目を瞑った。十七歳のままの美智子と美咲の浴衣姿が、残照の波間に浮かびあがった。櫓太鼓の音がして、きらめく光の傘の下で二人は立ち止まる。美咲が胸の名札を外してやっている。笑顔が重なり合う。シャンコ、シャンコー。馬橇の鈴の音を美智子は懐かしそうに想い出している。(中尾則幸『海わたる聲』より)
海のかなたに消えた美智子、そしてその他多くの人々の姿を生き生きと、美しく蘇らせてくれた作者・中尾則幸氏に、柏艪舎に敬意を表しつつ頁を閉じる。
(2019/05/24読了)