The NYT「教師への敬意と給料が学校再生の鍵となる シカゴの教員ストから」

How to Fix the Schools – NYTimes.com.

 

The New York Times 2012年9月12日

 

シカゴの教員のストライキがどれほど早く終結したにしても、シカゴの公立学校の生徒にとって事態は好転しないだろう。たとえスト終了が今日の午後だろうと2ヶ月後だろうと関係ない。そう、よくある話だということはわかっている。だからといって、真実でないということにはならない。

 

失われたのは学校の授業だけではない。もっと大事なことは、シカゴ教職員組合と市長ラム・エマニュエルおよびその行政機関のあいだには、憎悪がながく残ることになるだろう。ストでの争いが終わっても、教育改革論者と都心部の公立学校の先生方のあいだの争いは続くだろう。

 

教師たちが、それも多くの教師が怒りをあらわし続けているのは、標準テストを使って教える能力をはかろうとする動きである。教職員組合の指導者のなかには改革主義者たちを公然と非難して、教育改革に財政を使う「億万長者のヘッジ・ファンド・マネージャー」呼ばわりする者もいる。生徒が高い学力を達成するにあたって最大のバリケードとなるのは教員組合だと、教育改革主義者たちは考えている。こうした毒をふくんだ雰囲気が、教室の雰囲気に影響をあたえないわけがない。疎んじられた労働者はけっして良いものになりえないからだ。ただ、もし人々が教師とともに戦うなら、生徒が進歩することもありうる」とマーク・タッカーは言う。

 

タッカーは72歳であり、かつてワシントンの中等教育局に勤めていた。現在では、1988年に自ら設立した教育と経済に関するナショナル・センターの会長である。センター設立時から、タッカーが重点をおいてきた調査とは、アメリカより優れた結果をだしている国ーーーフィンランド、日本、上海、オンタリオ、カナダなどの地域の公教育との比較である。タッカーの結論によれば、優れた教育システムには共通の特徴があるという。現行のアメリカの教育システムにおいても、過去10年にわたって実施されてきた改革案においても、そうした優れた教育の特徴をなにも見つけることができない。その話題になるとタッカーは失意を隠せない。

 

「教師とも組合とも共に働く方法を見つけなければならなかったし、その一方で教員の質を引き上げる働き方を見つけなければならなかった」最近、タッカーは私に語った。彼には教員の質を引き上げる方法を明確に考えていた。彼の出発地点となるのは公立学校そのものではなく、教師を教育する大学なのである。アメリカにおける教員への教育は、他の多くの国より劣っている。教育学、すなわちすなわち教え方を学んでほしいと主張しているわけでもなければ、学科に精通した知識を要求しているわけでもない。だが教育システムが優れている国では、教育学も学科の知識も教師に授けられているものである。(実際、注目すべきことだが、アメリカにおける非営利の教育組織の多くが、現職の教師がすばらしい仕事をする手助けとなることを目的としている。なぜなら教師たちは正しい教授法を学ぶ機会がなかったからだ)

 

他の国で教師に授けられていることに、教職が他のホワイトカラーの専門職と等しい地位だということがある。かつてアメリカでもそうだった。だがタッカーの分析によれば4半世紀にわたる収入の不平等のせいで、教師は弁護士や給料の高い専門職に劣る存在と見られるようになった。教師の組合が暴れている原因は大体ここにある。十分な給料を受け取っていないと感じているからではなく、十分に評価されていないと感じているからだ。タッカーの考えでは、教師に並外れた給与を払えというわけではないが、もっと給料を支払うべきなのである。しかし重要なことは、教師になる教育はもっと厳格にするべきであり、教師という職業にもっとステイタスを浸透させるべきだということなのである。「よその国では教員養成大学に入る基準を引き上げている。」タッカーは私に指摘した。「私たちも同じことをする必要がある」

 

次にタッカーが考えていることは、組合を悪魔化して考えても意味がないということである。「もし高い実績をあげている国をみるなら、その多くの国には強固な組合組織がある。組合が強くなったから生徒の学力達成が下がるという相関関係はない」とタッカーは言う。

 

それどころかタッカーはオンタリオでの例を指摘する。オンタリオでは、10年前に新政権が発足したときに教員組合と協力することを決定し、組合を敵対者としてではなくパートナーとして扱うことにした。結果はどうなっただろうか? オンタリオは今や世界でも学生の達成度が一番高い国のひとつである。(悲しいことに、2年間の賃金凍結が課せられてから、教員と政府の関係は悪化した)

 

学生の達成度が高い国では、教員の基準を放棄したりはしない。その反対である。活動に協力していると感じている教員は、すすんで仕事の達成度を評価されようとする。そう、他の専門的職業と同じように。これも注目すべきことであるが、標準テストに頼っているアメリカとは異なって、標準テストをすっかりあてにするようなことはない。これも私たちが学ぶのを忘れたレッスンである。

 

シカゴの教員のストライキは、かたい言い方をすれば、教育をめぐっての戦いがどれほど間違った方向を目指してきたのかという例である。教師の組合は、産業組合が勝ち取ろうとしているものを求めて戦っている。すなわち年功序列主義や都合のよい労働規則をもとめ、教師としての能力測定を実施することにすさまじい抵抗をみせている。一方、シカゴ市当局は教育改革を実施するために戦っているが、学生の達成度が高い国ではこんな教育改革は実施していない。それにこうした改革が実施されたところで、あまり変化はないだろう。

 

学校を変えていく鍵となる答は身近なところにある。すなわち教育するとはどういうことなのかについて教えたり、組合と交渉していく過程にある。簡単なことではないだろうが、不可能なことではないはずだ。前方に道は開けているのだから。(さりはま訳)

 

 

 

 

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