ポール・ローマー「経済における成長とはどういうことなのか」

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ポール・ローマー「経済における成長とはどういうことなのか」

 

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年成長率についての話題

 

 これは中国に昔からある伝説を現代におきかえた話である。ある投資銀行家が借金の返済方法として求めてきた方法に、チェスボードの最初の一コマに1ペニーを置いて支払わせ、二コマ目に2ペニーを置いて支払わせ、三コマ目には4ペニーを置いて支払わせるという方法がある。もし白い升目だけを使うようにと銀行家が求めたなら、最初の1ペニーは価値にして31倍に倍加したことになり、最後の1コマに残されるのは2150万ドルになる。黒と白のマスを両方とも使ったなら、1ペニーが92000000000000000ドルにふくらんだことになる。

 

人々は加算に基づいて見積もりをだすことが、ほどほど上手である。しかし、かけ算の繰り返しに基づく複利のような計算となると、数がふくれあがる速さを体系的に少なく見積もってしまう。その結果、平均的な成長率が経済にとって大事であるということを見失いがちである。チェスボードのすべてのコマを倍にしていく返済方法にすべきか、それともどちらかのコマを倍にしていく返済方法にするべきか選択することは、投資銀行家にとっては他のどんな契約より大事なことである。支払方法がペニーだろうと、ポンドだろうと、ペソだろうと問題ではない。国家にとって何よりも重大な経済的関心とは、全世代の収入を倍増させるのか、それとも特定の世代の収入を増加させるのかという選択なのである。

 

一人当たりの収入における成長

 

72という数を成長率で割ることにより、何かが2倍に増えるのに時間がどのくらいかかるかということを理解することができる。1950年から1975年にかけての25年間、インドの一人あたりの収入は1年で1.8%の割合で成長した。この割合でいくと、40年で収入は倍になる。721.8で割ると40になるからだ。1975年から2000年にかけての25年で、中国の一人あたりの収入は毎年ほぼ6パーセント成長している。この割合でいくと、収入は12年で倍になる。

 

2倍に増えるのにかかる時間がこのように異なるということは、国家に巨大な影響をもたらすのである。銀行家に影響をもたらすのと同様なのである。インド経済は、ゆっくりとした成長率のもと、2倍に増えるのに40年かかるだろう。同じ40年間でも、中国の速い成長率のもとでは3倍の速さで倍になるので、40年たつ頃には最初の8倍に増えているだろう。

 

1950年から2000年までの間、アメリカ合衆国一人あたりの収入の増加は毎年平均2.3パーセントであり、インドと中国という極端な例の中間にある。1950年から1975年にかけてのインドは、一人あたりの収入がアメリカより低い7パーセント以下でスタートしたが、さらにアメリカとの収入差がひらいてしまった。1975年から2000年にかけての中国は、インドより低いレベルでスタートしたにもかかわらず、追いついてしまった。

 

中国が急速に成長をなしとげたのは、かなり遅れた地点からスタートしたせいもあるのかもしれない。急速な成長をとげた大きな理由として、世界の他の地域ではすでに普及している価値をうみだす方法について企業を啓蒙したせいでもあるのかもしれない。せめて1950年から1975年にかけての間でも、なぜインドが同じような奇跡をなしとげることができなかったのかという問いには興味深いものがある。

 

成長とレシピ

 

人々が資源を使い、その資源をさらに価値あるものにする方法で変えていくときはいつでも、経済的な成長が生じるものなのである。経済において、生産のメタファーのうち有用なものとは、台所に由来するものである。価値のある最終生産物をつくるためには、レシピにしたがって高価ではない材料を混ぜ合わせる。調理することが可能な料理とは、材料が供給されるものに限定されている。しかし経済における料理とはほとんどが、好ましくない副作用を生じるものである。もし経済成長が同じ種類の料理をたくさんつくることで成し遂げるものなら、いつかは生の材料をきらしてしまうだろう。さらに汚染された不愉快な状態は受け入れがたいレベルとなり、私たちは苦しむことになるだろう。しかしながら人類の歴史が語るところによれば、経済の成長とは優れたレシピから生じるものであり、たくさん料理したからといって生じるものではない。新しいレシピには不快な副作用ば少ししかないものであり、それぞれの生鮮材料ごとに経済的な価値を今まで以上に生み出すものである。(天然資源を参照)

 

ありふれた例を話してみよう。今では、ほとんどのコーヒーショップでは、Sサイズでも、Mサイズでも、Lサイズでもコーヒーの容器のふたは同じである。ところがつい最近の1995年まで、そうではなかった。このようにカップの形状をちょっと変えたことで、コーヒーショップはより低いコストで客に提供できるようになった。店の経営者が在庫を調べなければいけない蓋は、たった一つのタイプでよいのである。従業員も1日中、コーヒーを今までより素早く提供することができる。客も今までより少し早く、コーヒーを受け取ることができる。トランジスターや抗生物質、電気モーターのような大発見だけに注目は集まるけれど、カップの新しいデザインや蓋というような小さな発見にも何百万の儲けがあり、国の平均収入を2倍に増やすのである。

 

年代を問わずあらゆる人々が自覚していることだが、新しいレシピや考え方が発見されなければ、限りある資源と好ましくない副作用が原因となって、成長が限界に達することだろう。しかし、新しいレシピと新しい考え方を見つける可能性については、どの年代の人々も低く見積もっている。発見されたまま放置されている考え方がどのくらいあるかについて、私たちの認識は不十分である。私たちが複利で考えるときに感じる困難と同じものである。可能性とは、単に加えるだけではない。それは、かけるところから生じるものなのである。

 

実験合成として知られた物理化学の分野においては、化学者たちは選んだ物質を異なる温度や圧力のもとで混ぜ合わせ、何が誕生するのか確かめようとする。およそ10年ほど前、このようにして発見された数百ある合成の内の一つが、銅、イットリウム、バリウム、酸素の混合物であり、それ以前に考えられていたよりも高い温度における超伝導体であることが発見された。この発見には最終的に、電気エネルギーの不足を解消し伝達を助けてくれる重要な意味があるのかもしれない。

 

こうした発見をさらにするならば、範囲がどの程度あるのか認識するために、以下のように計算する。周期表は百種類の原子を含むが、4つの異なる元素から出来ている結合の数は、およそ100×99×98×97=94000000である。6,2,1,7のような数の一覧は、レシピにある4つの元素を使う割合を表している。シンプルにするために、一覧の数を1から10のあいだにするようにすること。分数は許されない。しかも一番小さな数はつねに1でなければいけない。そうすると、4つの元素をどう選択するかによって、異なる割合の組み合わせがおよそ3500ある。合計で、3500×94000000(あるいは3330000000000)の異なるレシピがある。もし世界中の実験室が毎日1000のレシピを評価するなら、すべて評価するのにほぼ100万年かかるだろう。(もし、こうした結合の計算がすきなら、地元のコーヒーショップで、何種類のコーヒーを飲むことが出来るか考えなさい。カップの蓋の山のまわりを動きまわることなく、今やバリスタは客ひとりひとりの皿へ、好みにあわあせたコーヒーをだすことに時間を費やすのである。)

 

しかしながら実際には、この計算では、調査されないでそのままになっている量を非常に低く見積もっている。と言うのも、混合物とは4つ以上の元素から出来ることがあるからであり、分数の割合が選択されることもあり、混ぜ合わせているあいだに多岐にわたる形で圧力と天候がかかわってくるからだ。

 

こうした追加的な要素を訂正してから、可能性の範囲を示した後でようやく、この種類の計算が始まる。まとまりのない方法でこうした元素を混ぜるのではなく、化学反応をつかって酸素と炭素のような元素を結びつけてポリマーやプロテインのような整った構造にすることが可能である。こうした種類の化学反応がどれほど遠くに連れて行ってくれるかということを確かめるなら、理想的な化学精製所というものを思い浮かべてみなさい。豊富な、新しい資源を使うことで、人々が価値をおく製造物に変えてくれるだろう。その精製所は車より小さく、移動が楽なので、供給エネルギーを探すことが可能である。また狭い領域での反応に必要となる気温を保つことが出来るし、システムのほとんどの不調を自動的に直すことが可能である。消耗してからも使えるように、自身のレプリカをつくる。人間からの指示がなくても、こうしたことをすべて行うだろう。私たちがしなければいけないことはただ定期的に来させることで、パイプをつないで最終的な排出物を取り除くことである。

 

この精製所は、すでに存在する。それは乳牛である。もし自然がこうした酸素、炭素、その他の原子の寄せ集めからなる規則的集合体をつくるなら、実験と失敗を繰り返しながら特別な進化の道を曲がりくねって進むことになるが(なかには数百万年かかるものもあるが)、想像できないような数の、価値のある構造とレシピを発見して原子を結びつけることになるにちがいない。

 

物体と概念

 

概念とレシピについて考えるということは、経済政策(と牛)についての考え方を変えるということである。途上国の多くにおいて、いつまでも貧困が続くことについてのこれまでの説明とは、途上国には天然資源や資本財のような物質がないというものである。しかし台湾はどちらもない状態でスタートし、今でも急速に成長している。それには何かがあるにちがいない。だんだん考えを転じて強調してきているのは、貧しい国に欠けているものは概念であり、物質ではないという考えである。知識の力によってもっとも貧しい国の市民に与えなければいけないものとは、よく改善された生活基準であり、先進国ではすでに存在しているものである(現代の経済成長における生活基準を参照)。もし貧しい国が教育に投資するならば、もし貧しい国が他の世界から考え方を学ぼうとする国民の気持ちを砕かなければ、世界中の知識の山のなかから公になっているものをすぐに利用することができる。さらに、もし貧しい国が非公式にでも、その国の中でつうじるような考えを示してくれるならと付け加えよう。それは具体的には、外国の会社による直接投資を認めたり、外国の特許、著作権、ライセンスを守ったり、財産の権利を守ったり、厳しい規制と高い限界税率を避けることである。そうすれば貧しい国の国民は、すぐに最先端の生産活動に従事することが可能である。

 

公衆衛生に関する洞察のような考えは、途上国で急速に採用されつつある。結果として、貧しい国における平均余命は先進国に追いつきつつあり、一人当たりの収入よりも早く追いつきつつある。しかしながら貧しい国の政府は、公衆衛生以外については多くの考えが流布していくことを妨げている。とりわけ商業的価値をともなう考えについて妨げとなっている。北アメリカの自動車生産業は、他の先進国の考えから学ぶことが可能であることをはっきりと理解している。しかしインドの工場は、数十年にわたり、政府がつくりだした保護的なタイムワープの中で操業した。1950年代に英国で創業されたヒルマンエンド・オースティン自動車は、1980年代はずっとインドで生産ラインを動かし続けた。インド独立後の公約である市場閉鎖と自給自足への闘争は頑強であり、それは台湾の公約である外国の考えを学んで世界市場に完全参加するという考えに拮抗するものであった。こうした同じタイプの切り開きは、中国において生活の壮大な変化をひきおこしつつある。インドに貧困をもたらし台湾に富をもたらす結果には、類似点がないというわけではないだろう。

 

インドのように貧しい国が生活基準を著しく増加させるには、産業化された国営企業に支持される考え方をとりいれることによる。インドの経済改革は1980年代に始まって1990年代始めに熟したが、インドはこうした経済閣の機会をとらえて自国市場を解放しはじめた。インド国民のうち、例えばソフトウェア開発業者のように世界の他の地域にある工場のために働いているような者たちにとっては、こうした生活基準の向上は現実のものとなった。これと同じタイプの解放が、中国でも著しい生活の向上を引き起こしつつある。20世紀最後の25年間における中国の成長は、多国籍企業による外国投資により著しく伸びた。

 

アメリカ、カナダ、ヨーロッパ連合の国々のような先進国が前に進んだ状態にふみとどまるには、どこでも議論されているような考え方を採択するだけでは不十分である。先進国には、自国で新しい考え方を発見しようとする強い動機が必要だが、これは容易いことではない。考え方を価値のあるものにする特徴は共通しているものであるが、それは誰もが同時に使うことができるというものであるからである。考え方への投資に関して、適切な利息をかせぐことは難しいということでもある。新しい考え方から利益を得る人々の多くは、無料で他人の努力に簡単に乗ることができるのである。

 

トランジスターがベル実験室で発明された後、多くの応用的な考えが開発されることになり、この科学の基本的発見であるトランジスタは商業的価値を生じた。今までに、民間企業は改良したレシピをつくり、トランジスターの費用を以前の100万以下に下げた。しかし、こうした発見からくるほとんどの利子を受け取るのは、革新的な企業なのではなく、トランジスタのユーザーなのである。1985年のことだが、私は自分のコンピユータのメモリのために100万個のトランジスターにつき1000ドル支払ってきた。それが2005年には、100万個のトランジスターにつき支払ったのは10ドル以下だった。だが、私はこの授かり物に値することは何もしていないし、何も手伝っていない。もし政府が主要な発見から石油を受け取ることにして、その石油を消費者に提供するならば、石油会社が驚くほどの調査研究をするだろう。石油は今でも偶然見つかるものもあるだろうが、見込みのありそうな採掘調査の機会も無視されることになるだろう。もしこうなれば石油会社と消費者の双方にとって事態は悪化することになるだろう。トランジスタを改善することで生じる利益の漏出はこうした没収税のような働きをして、調査しようとする動機にも同じような効果をおよぼす。政府による基本的な科学調査の基金の整備が、ほとんどのエコノミストから支持されているのは、こうした理由による。しかしながら、この基本的な調査援助が、応用的な小思考をたくさん発見しようとする動機を与えるものではないと、エコノミストたちは認識している。そうした応用的小思考が、トランジスターやウェブ調査のような基本的な考え方を、価値のある品物やサービスに変えていくのである。

 

進歩と成長を生み出すには、大学の科学者よりももっと大勢の人間が必要なのである。見たところ発見の形式はあまりに実際的なものなので、新しいビジネスモデル、あるいは工業生産品と生産過程が社会全体にとって巨大な利益をもたらすものになることが可能である。こうした発見をする会社にとっては、たしかに利益がある。しかし理想的な割合で、革新を生み出すには十分なものではない。新しい考え方について特許と著作権をしっかり与えれば、企業の意欲は高まり新しい発見をしようとするるだろう。しかし、それは以前になされた発見を基にしているため、その発見をもっと高価なものにしてしまうだろう。知的財産権をしっかり保護することは逆効果にあり、成長をゆっくりとしたものにするだろう。

 

各国政府が大いに活用した安全な手段の一つが教育への奨励金であり、才能のある若い科学者と技術者を増やすことをねらいとするものだった。発見する過程へのエネルギー投入であり、革新というエンジンに火をつける石油なのである。新たに訓練をうけた若者がどこで働くことになるのか誰にもわからない。しかし国家はさらに多くの科学者や技術者を教育しようとしているし、科学者や技術者たちはさらに驚くべきことをなしとげるだろうという自信にみち、その自信に満ちた本能のおもむくまま行動している。

 

メタ・イデア

 

おそらくすべてのなかで一番大切な考えはメタ・イデアであり、考え方の生産性と伝達性をどう支えるのかという手段に関したものである。17世紀の英国の話だが、発明を守る現代的な特許の概念が発明された。19世紀の北アメリカにおいて現代的な調査大学と拡張的な農業サービスが発明されたが、それらの機関が20世紀において基本的調査の助成金の申し込みを審査した。産業化されたすべての国が直面している試練とは、新しい産業を発明することである。民間企業において、応用性のある高度なレベルで、商業的にも有意義な調査を行い発達を促すことになるのが、新しい産業なのである。

 

才能を開かせ教育を与えようとする各国の市場は、統一化された世界市場へと変わる。そのため重要な政策革新の機会は確かに拡大するだろう。基本的な調査では、アメリカが明らかにリーダーであるが、教育の鍵となる領域では、他の国々が前に進んでいる。多くの国々はすでに、科学者や技術者として大勢の若者を訓練していく方法を発見していたからである。

 

考え方を支えていくことになる次の主要な考え方が何であるかを知らない。どこに次の考え方が現れるのかもわからない。しかしながら二つの信頼できる予言がある。第一に、21世紀に主導権をにぎっていた国は、民間企業から新しい考え方が効果的に生まれてくるのを支える新制度を実行する国になっているだろう。弟二に、こうした種類のメタ・イデアは見つけられているだろう。

 

想像力が欠如しているだけなのだ、路上の男にすべてが発見されてしまったと思いこませるのと同じような失敗なのだ。想像力の欠如のせいで、関係のある組織がつくられ、すべての政策のレバーが見つかったのだと私たちは信じてしまう。社会科学者たちにとって、すべての破片は物理学者たちと同じように意味があるものであり、そのすべての破片に探検すべき広大な世界があり、発見すべき素晴らしい驚きがあるのである。(LadyDADA訳)

 

LadyDADAのつぶやき・・・貧乏人の経済学の訳者あとがきを読んだときから、ポール・ローマーについてもう少し知りたいと思ってきました。拙い訳ながら、少しローマーの世界に触れることができたので嬉しいです。冒頭のチェスボードの話は訳しながら信じがたい気分になり、数学に強いBlackRiver先生に説明していただいたのですが、今でも信じられない気がします。

 

 

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ポール・ローマー「経済における成長とはどういうことなのか」 への2件のフィードバック

  1. optical_frog のコメント:

    翻訳ありがとうございます.勉強になります.

    2点のみ訳文の指摘を:

    ・reasonably good: 「当然ながら…得意」ではなくて,「ほどほどに上手い」です

    ・「かけ算の繰り返しに基づく複利のような機能のおかげで、どれくらいの速さで物事が成長していくのかを体系的に見積もることになる」
    →「かけ算の繰り返しに基づく複利のような計算となると,数がふくれあがる速さを体系的に少なく見積もってしまう」くらいです.

    • Lady DADA のコメント:

      いろいろ教えていただき有難うございます。
      貧乏人の経済学あとがきとoptical_frogさんのティム・ハーフォードの翻訳に触発されて、ポール・ローマーのことをもっと知りたくなり無謀にも翻訳を試みてしまいました。
      まだ、まだ続きの部分もいろいろ直すところがあるとは思うのですが、これに懲りずにまた教えていただければ幸いです。

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