The poor in America: In need of help | The Economist.
バラク・オバマの再選挙のときに語られることのなかったアメリカの貧しい人たちであるが、彼らのことははもっと考えるに値する問題である。
2012年11月10日 TheEconomist
バラク・オバマが大統領に最初に立候補したときに、エンマ・ハミルトンが位置している白人の労働者階級は政治的に重要な構成グループであった。ミズ・ハミルトンは黄色い髪に、長身、がっしりとした肩で、握手する手は力強く、単刀直入な物言いをする女性だ。南カリフォルニア州の東中央部、人口四万ほどの小規模都市サムターにある工場で積み荷係として働いていた。しかし工場に勤務しての七年後の2008年7月、重い二つのローラーのあいだに片手をはさんで潰してしまった。その事故のせいで彼女は仕事ができない状態になってしまった。
事故から3年後の2011年4月に、ミズ・ハミルトンは家も失ってしまった。20歳の息子と犬と一緒に、シュヴロンの紺色をした自分のワゴンに引っ越すことになり、それ以来そこに住んで、日中は金属缶を拾ったり、夜は食料品店の駐車場で眠った。
ミズ・ハミルトンの脚の痛みがひどくなり無視しがたいものになると、ときたま息子と一緒に滞在するシェルターの職員は、サムター郊外にあるダウンタウンのエクセルシオール・メディカル・クリニックをすすめた。ミズ・ハミルトンの受付をしたのが、パトリシア・ダンハムという名前の職員だった。ミズ・ダンハムの肌は黄褐色、青い目としまりのない笑いが目につく。ミズ・ダンハムはエクセルシオールで毎週37.5時間働いている。夜になるとファーストフードレストランの奥で働く。エクセルシオールの時給は12ドル50セント、ファーストフードでは時給が7ドル25セント、これは連邦政府の最低時給である。もし一週間に24時間レストランで働くことができればーーーこれは彼女がそうしたいと望んでいることだがーーー1週間で61.5時間、一年間で50週働くことになり、天引き前で32137ドル50セント稼ぐことになる。
ミズ・ダンハムは学校にかよう年齢の子供たちを3人抱えているが、夫は働くことができない状態である。ダンハム氏には犯罪歴がある上、2010年から定期的に発作を起こしてはその後数日間寝たきりの状態になってしまう。センターの補助にしてもレストランの仕事にしても、ミズ・ダンハムの仕事では、健康保険には加入できない。ミズ・ダンハムは夫のために発作を押さえる薬の支払いをし、さらに自分自身の7歳児のような注意欠陥障害をおさえる薬の支払いもしている。
ダンハム夫妻は、2010年にダンハム氏の母親を埋葬するさいに借りた2100ドルのローンを未だに支払い続けているが、車の支払いはもはや関心事ではない。ミズ・ダンハムは車を差し押さえられ、まもなく車が回収されたことが伝えられた。メディカル・クリニックは家から徒歩圏にあるが、ファースト・フード店はそうではない。勤務は夜遅く終わるが、通りは安全からほど遠い。
これら二つの人生の断片は、アメリカ人の金銭的な余裕を物語るものである。アメリカ人の15%(4600万2000人)ほどが、最初のミズ・ハミルトンのように貧困ラインを下回る暮らしをしている(チャート1参照)。L.B.ジョンソンが大統領選で「偉大な社会」を目標にかかげた1960年代初期に戻れば、このように貧困が著しい割合をしめている状況を見つかるだろう。多くのひとはミズ・ダンハムのように貧困ライン以上の収入はある。だが、それにもかかわらず、家族が月々必要とする基本的なものを充たすことができないでいる。そしてこのような人々の数が増えつつある兆しがある。
困難になりつつある状況
かつて、こうした人々の運命はアメリカの政治家にのしかかっていた。ロナルド・レーガンの自慢は、所得税を免除して貧乏人を助けたことだった。1996年にボブ・ドールと同時に立候補したジャック・カンプは、「貧困への新しい戦争」の先陣をきろうとした。だがジョージ・W・ブッシュは、「根が深くて絶えることのない貧困には・・・国家の公約にする価値はない」と述べた。
もはやそうなのだ。予算はきびしく、セーフティ・ネットは高くつく。よく知られているようにミット・ロムニーはこう発言したことがある。「貧困者について心配していません。なぜなら、貧困者を助けるためのセーフティネットはちゃんとあるからだ。かつてオバマ大統領は二次計画で貧困について言及した。今回もその延長線上で、「ミドル・クラス(中間層)へ憧れる人たち」と用心深く話した。「poor」は四文字の汚い単語なのである。
オバマ氏が再選したことで上院への民主主義的なコントロールが働き、ロムニーの行政下であれば安心できなかっただろうが、連邦の反貧困プログラムの水準も維持される。しかしアメリカの貧乏な人は、行政やプログラムからの支援を上回る構造の変化に直面している。かつては高校をドロップアウトしても勤勉な者は、工場の流れ作業で働いてミドル・クラス(中間層)になることが出来た。今やそうではない。20世紀には技術は要らないが高賃金の仕事に多くの人がついて貧困から抜け出そうとしたものだが、そうした仕事もほとんどがなくなってしまった。貧しい人たちは家族構造が弱いものになっているせいで、貧しい子供たちが収入という人生の梯子において一番下で脅かされている。おぼろげに見えてきた教養娯楽・高級品購入など裁量支出への削減は、アメリカのすでに手薄なセーフティ・ネットを脅かしている。
15%という貧困率は、連邦政府がさだめた一人当たり年収11702ドル、四人家族一世帯で年収23201ドルという貧困の境界線にもとづいて計算されているが、これは一人あたりの収入だと中央値メジアンからおよそ44%になり、四人家族にすると中央値メジアンから30%になる。豊かな国のクラブであるOECDが貧困ラインの比較数値として示しているのは、税引き後の世帯収入の中央値メジアンから40%のところにある数値である。これを基準にすると、アメリカの貧困の割合は11%であり、OECDの平均6%より高い数字である。
一般的にアメリカの貧困といえば、アパラチアとオークランドを、すなわち田舎の白人と都心部の黒人がうかんでくる。確かにそれは真実である。1990年からにかけて、貧しい人たちが常に住み続けて、貧困率が20%かそれ以上になる地域は、たしかにアメリカの田舎である(地図参照)。貧困の全体的な割合は大都市で高い。貧乏人の過半数1900万2千人は非ヒスパニック系白人であり、貧困率は少数人種において高い。黒人やラテンアメリカ系移民の1/4が貧困状態で生活しているのに対し、白人で貧困状態にあるのは1/10にすぎない。
子供の貧困率も高く、ユニセフのレポートによれば、日本、カナダ、ルーマニア以外のヨーロッパの他の国よりもアメリカの子供のほうが貧困率が高く、そのせいで人生を駄目にしてしまう。アメリカでは低所得グループの子供たちは、高所得グループの子供たちのように五歳で学校にいく準備をしない。低所得グループの子供たちが落第することなく高校を卒業することは少ない。学校にいっている歳なのに、低所得グループの子供たちは親になったり有罪宣告をうけたりしている。高校を卒業して高い収入をえることはありそうにない。
ほとんどの場合、貧困とは一時的な状況だろう。いつまでも続く貧困とは比較的まれである。しかし、いつまでも続く貧困が広がりつつあるように思える。2004年1月から36ヵ月間、アメリカ人のうち2.8%だけが貧しかった。危機以降の2009年から10年にかけて、貧乏なひとの割合は4.8%に上昇した。以前から潜んでいたものの、危機のあいだに悪化した別の問題とは、郊外の貧困である。郊外に住んでいる貧乏な人の数は2000年から2010年にかけてのあいだに53%になり、そのあいだに数十年間発展してきた郊外は逆方向に転落し、アメリカでは都市がもう一度働くのに望ましい場所となり、裕福な郊外居住者をひきよせ、末端の郊外の経済活動を沈下させた。財政危機がさらに事態を悪化させ、中でも以前にぎやかだったサンベルト地帯においてひどい。2008年度に関していえば、アメリカでは貧しいひとの1/3以上が郊外に住んでいる。
貧困に監禁されて、あるいは監禁された貧困
2010年には、1億5千万人のアメリカ人がワーキングプアであるとみなされた。それはすなわち労働力人口のなかで27週を過ごすが、それでも貧困ライン以下で生活しているということになる。これは労働統計局が1987年に統計をとりはじめてから最も高い数字である。ミズ・ダンハムのように貧困ライン以上のところにいても、家族の必要を充たすことの出来ない人々を含めたら、もっと高い数字になるだろう。
ひろく惜しまれていることは、40年か50年前なら正式な教育は受けていなくても、ミズ・ダンハムのように意欲のある労働者は工場に職を見つけて、年金のつく標準的な仕事を見つけることができただろうということだ。しかし技術のいらない単調な仕事、中でも製造業は、海外に転出してしまうかオートメーション化の犠牲となってしまった。低いレベルのサービス業だけが残っている(ワーキングプアの1/3がサービス業で働いている)。こうまで言うと単純化のしすぎかもしれないーー製造業がかならずしもサービス業より給料が高いという訳ではないーーーしかし、これは真実なのである。
低所得者の賃金は過去40年間において大きく変わっていない。1947年から1967年にかけて、労働者ひとりあたりの時給は平均で年2.3%上昇した。これはアメリカの労働者の80%をしめる労働管理下にない労働者の話である。しかしながら過去30年間、時給は毎年少し0.2%ほど上昇した。2007年から2011年、平均時給はアメリカの労働者のうち底辺70%で下落し、なかでも所得が低い層での下落がもっとも激しい。
賃金が落ち込んだのと同じように、危機のせいで全労働人口における生産年齢人口の割合が急激に落ち込んでいる。2000年代の最初、その割合は62%と63%のあいだだった。2010年には59%以下になった。仕事についていない期間が長くなればなるほど、仕事に復帰するのが難しくなる。そのせいで不景気における高い失業というマクロ経済の一時的な問題が、貧困へと構造を転換してしまうだろう。
アメリカの尋常でない投獄率も原因となっている。ダンハム氏の犯罪歴は異常はない。若い黒人男性で学校をドロップアウトした者のうち37%に犯罪歴がある。刑務所にいるあいだに稼ぎたいと思う気持ちがなくなり、仕事にしがみつくことも面倒になり、結婚したいと思わなくなる。おおざっぱにいって高校をドロップアウトして犯罪歴のある者のうち3/4が底辺の収入グループから抜け出すことはない。1970年から2010年にかけて犯罪人口が8倍に伸びたせいで、貧しいひとへの判決が貧しい生活になってしまう。
さらに貧乏人のあいだで家族構成が崩れつつある。1965年、ダニエル・パトリック・モニヤンはリンドン・ジョンソンで「貧困に関する戦い」を研究していたが、黒人の家族のあいだで家族構成が壊れつつあると警告した。1/4の家庭で女性が世帯主であると、モニヤンは「ネグロの家族、国家が行動すべき事例」で書いた。更にほぼ1/4の黒人の子供たちは、はやりの言葉で言えば「私生児」である。今日、結婚しないカップルの出生率をすべての民族で平均してみると、モニヤンの頃の黒人よりも高く、ほぼ41%である。高校を終えていない白人女性だと、この割合は60%を越えている。
貧乏な子供のほとんどが片親家庭であり、貧しい家庭のほとんどに結婚している両親がいない。ミズ・ハミルトンのようにシングルマザーが世帯主で夫がいない家庭の1/3が貧しく、それと比べると両親が結婚している家庭で貧しいのは14家庭のうち一家庭にみたない。1999年にさかのぼるが、シンクタンクのブルッキング・インステティューションで貧困について研究していたイザベル・サウヒリがこう警告した「子供の頃が人生の分岐点となり、私たちを持てる者と持たざる者に分けようとしている。そしてその分岐点の原因となる大半は、金持ちの家庭か貧乏な家庭か、あるいは両親が結婚しているかそうでないかという生まれや育ちの違いである。
なぜ結婚が安定につながるのか理解することは難しいことではない。ミズ・ハミルトンの場合を考えればいい。彼女の夫がでてくることはない。頼る家族もない。複合硬変と心臓をわずらう姉が施設に住んでいるが、夜の訪問は許可されていない。もう一人の姉は60代で、夫は仕事にはついてなくて数年間ガンをわずらっている。姉夫婦は家を失ったばかりである。極貧におちいったときには息子は幸いにも成人していた。もし小さい頃であったなら、息子の未来は荒涼としたものになっていただろう。
ミズ・ダンハムを見れば、結婚がどれほど役にたつかわかるだろう。彼女の状態は不安定である。だが、家で子供たちの面倒をみてくれるダンハム氏がいなければ、状況はさらに悪化しているだろう。子供の面倒にもっと時間をついやすことだろう。子供たちは監督する者もいなくなるだろう。ダンハム氏は15歳になる息子に「頑固者」やならず者になることへの危険を好んで警告するが、これは自分自身の没落を責めてのことである。ダンハム氏の仕事は突発的なもので正式な仕事ではないが、一家の財源をふくらますことが可能なのである。ミズ・サワヒリが家族に「予備軍」をあたえるものとして結婚について語るとき、言おうとしているのは臨時の手伝いであり、臨時の稼ぎ手であるということなのだ。
アメリカは貧困の問題に無計画でも、無頓着でもない。たとえ金持ちと貧乏人が異なる地域で、別個の生活習慣をおくり、まったく異なる生活を送っていたとしてもだ。貧しい人々は多くのプログラムにより助けられているが、負担がもとで軋み始めたプログラムもある。連邦政府がフードスタンプに費やした金額は2011年度には750億7千万円に達し、2008年の2倍以上になった。メディケイド(医療補助制度)への登録をとおして連邦政府と州政府は低所得のアメリカ人にヘルスケアを提供している。2008年以来、メディケィドへの登録は増加している。2012年のヘルスケアの予算増加は一時的な不景気がはじまったせいで最も緩やかなものとなり、連邦政府や州政府のコスト削減方針のせいでメディケアへの歳出は登録人数よりも低いものとなった。2011年に失業対策で1130億3000万ドルを支出した政府は990万人の受け取り人に利益を与え、同様にざっと見積もって160億6千万ドルを「必要ある家族への一時的援助」と呼ばれる連邦のプログラムの援助をした。
危ういハンモック
アメリカ人が、他の豊かな国と比べてみて、貧乏人に現金の譲渡することをとても嫌がる。この国は長年、貧乏でいることへの「報償」にみえるものを政治的に嫌悪し、そのかわり温情主義や課税コードなどの進歩主義を用いて貧困と闘っている。子供の税金控除は、ある程度の収入以下の家族(夫婦の場合なら110000ドル、片親なら75000ドル)が扶養下にある子供をかかえていると1000ドルの税金の控除を申請することができる。その範囲はミドルクラスにまで伸びるけれど、もっとも恩恵をうけるのは貧しい人たちである。控除のおかげで貧しい人の税の負担はほとんどなくなる。(おそらくミズ・ダンハムの場合のように)
アメリカにおけるもっとも重要な税金をもとにした現金譲渡プログラムは、勤労所得控除である。これは貧乏なひとが労働力になるよう奨励するために1975年に制定されたものであり、両方の党から精力的に範囲をひろげ拡充されてきている。最近では2009年に、オバマ大統領によって範囲を拡大された。ほとんどの税控除と異なって、勤労所得控除は返済できるものである。その額は収入と扶養している家族の数によって異なるが、納税者の勤労所得のパーセントに等しい控除になる。税控除が納税者の税負担を超過しているとき、政府は差額を払い戻す。その恩恵は家族をはなはだ歪めてしまう。一人暮らしのひとの控除はおよそ500ドルであるが、結婚している夫婦で扶養している子供が3人以上いれば、5000ドル以上の控除を受けることが出来る。2010年には、550億ドルが勤労所得控除で支払われ、230億ドルが子供たちの税控除のために支払われた。
ミネアポリス連邦準備局のファブリゾ・ペリーとジョー・スタンバーグの報告書によれば、最近の危機で、アメリカの底辺層の収入は中間層とくらべて30%落ち込み、資産は40%ほど減ったが、消費活動は以前のままだった。だから反貧困プログラムはアメリカにおける20%ほどの底辺の所得者を支援して、景気後退の衝撃をやわらげ消費しやすくしようとしてきた。再分配はアメリカの政治の汚い言葉なのかもしれない。だが再分配がなければ、景気の後退は貧しいひとたちだけではなく、アメリカの経済全般にとって、もっと痛みのあるものになっただろう。
しかしながら、こうしたプログラムは国会議員にあまり人気のない状態が続いている。共和党議員はフードスタンプの削減を求め、ポール・ライアンによる予算案を強く支持したが、それは反貧困プログラムが連邦予算の大幅削減にも耐えられるようにするものだった。誰もオバマ大統領の健康保険改革を支持しなかった。だが、それは収入が1/3ほど貧困ラインを上回る人々にメディケイドを提供することで、ミズ・ダンハムとその家族ような人々の人生を楽にすることを目指したものだった(しかし連邦最高裁判所の採決では、政府はメディケイドによる予算の拡大にはかかわりを持たないことが可能だとでた。サウスカリフォルニア州の知事はすでにそうする旨を宣言した)。しかし危機は特定の党に片寄ったものではない。赤字を減らすため連邦予算を制限する案は、あらゆる種類の自由裁量の予算を圧迫してしまうだろう。そうして削減されるもののなかには、うまくいくはずの反貧困プログラムも含まれているだろう。更に貧乏な人々は、任意予算の削減に脅かされる他の利益グループとは異なり、陳情してくれるロビイストを持ち合わせていない。
サムターの貧乏な人に関して、事態は完全に絶望的ではない。タイヤ会社が500000000ドルかけて工場を建設しはじめたが、その工場はサンター・カンティで1600人の人を雇用する予定である。サンターの西端にあるショー空軍基地では、昨年、15000人の兵士を受け入れた。ダンハム氏はクリスマスの季節の準備をして、正面のポーチで紫色の自転車を一台組み立てたり分解したりしている。彼は箱にはいった贈り物と家具を集める仕事をはじめようと希望している。彼はそれを「もしハンマーがあったなら」と呼びたがっている。その仕事は季節労働的なものであり、単発的であり、正式なものではない、だが仕事となり、喜んで迎え入れられるだろう。(さりはま訳・リバーチェック)
さりはまより・・・日本の子供たちを取り囲む貧困の状況については、下の日弁連のサイトにまとめられています。
日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:貧困の連鎖を断ち切り、すべての子どもの生きる権利、成長し発達する権利の実現を求める決議.
支援を必要とするアメリカの貧しい人たち The Economist への2件のフィードバック