丸山健二『千日の瑠璃 終結4』十月三日を読む
ーダメになっていくのもどこかユーモラスー
十月三日は「私は馬肉だ」で始まり、落ちこぼれた青年によって河原でさくら鍋にされている馬肉が語る。
以下引用文。「落ちこぼれた若者」に及ぼすさくら鍋の効果にびっくり。
ついで
富者と貧者をきっちり分別したがる
時の権力の壁を苦もなく取り払う力を与え、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』268頁)
以下引用文。「たったコップ一杯の焼酎」のせいで、若者のやる気がみるみる崩されてゆく様子が「焦げ付いた私」によってユーモラスに語られている。
その大鼾には自暴自棄と遣りきなさと
破滅を導く悲しみとが込められていて
鍋底に焦げ付いた私が立ち昇らせる煙と
なぜかよく調和している。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』269頁)