1.1.14の最後まで
さて共感についてだが、共感する理由が何であってもいい。わくわくしてもかまわない。何よりも嬉しいのは、ほかのひとが共感している姿をみることであり、その共感に私たちの胸中にある感情すべてをみいだすことである。だが共感をいだかれるのとは逆の状況になると、動揺してしまう。自分を愛するあまり、感情の原因をつきつめるのが好きなひとがいる。そうした感情を分析するひとは道徳規準にしたがって、喜びや苦痛を説明し、そうすることに途方にくれたりはしない。また、こう言う。人間は自分の弱さに気がついているし、他人からの助けが必要だと知っているのだと。悩みを受け入れてもらったことに気がつくと、いつでもうれしくなるものである。他人からの助けが保証されるからである。一方で反対の状況をみるとん嘆き悲しむ。抵抗されるだろうことが保証されるからである。しかし喜びも、苦しみも共に、いつもただちに感じられるものであり、つまらないことをきっかけに感じられる。だが、利己的な思考からは喜びも、悲しみもあきらかに生じない。友だちを楽しませようとした後で見渡してみても、自分以外には誰も冗談に笑っていない。そんなときに屈辱を感じる。反対に仲間が陽気になってくれると嬉しくなり、こうした感情の一致をほめたたえる。(さりはま訳)