アダム・スミス 道徳感情論2章 たがいを思いやるよろこび 1.1.15の途中まで

陽気な心が仲間の共感をうんで、さらに陽気にもりあがることがあるかもしれないが、よろこびを生じているようには見えない。だが、よろこびがないからといって、絶望から苦痛を生じるように見えるわけではない。陽気さも、絶望もともに、あきらかに幾分よろこびを生じたり、苦痛を生じたりはする。なにかの本でも、詩でも、同じものをしょっちゅう繰り返し読んでいると、もうその本を読んでも自分では楽しみが見つけられなくなる。でも友人に読んであげるときには、よろこびを感じることができる。友人にすれば目新しいことなのである。その本は当然ながら友人をわくわくさせることになり、私たちも驚いたり、賞賛したりしている友人に共感してしまう。だが、その本は私たちをもうわくわくさせることができない。私たちがみているような角度ではなく、友だちがみているような角度から、すべての考えを光にあてて見てみる。私たちは共感を楽しむが、その共感は私たちを元気づけてくれる楽しみをともなうものである。反対に相手が楽しんでいないようだと苛々して、本を読んであげることを楽しめなくなるだろう。同じような事例がもう一つある。友だちが陽気だと、私たちもあきらかに陽気に活気づく。だが沈黙していると、たしかに私たちは絶望してしまう。

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