宮沢賢治『ポラーノの広場』を読む
『ポラーノの広場』に限らず、宮沢賢治作品にはよく知っている場所に出来た異空間を覗きこむような味わいがある。
モリーオ市、イーハトーヴォ、センダードの市、にぎやかながら荒んだトキーオの市、ポラーノの広場……という岩手を、東京を思わせながら異国風の地名。
主人公のモーリオ市の博物館に勤めるキュースト。
キューストが知り合う少年ファゼーロとその友達で羊飼いのミーロ。
地主のテーモ。
山猫博士のボーガント・デストゥパーゴ。
馴染みのある地、想像ができる人物なんだけど、どこかこの世のものではない響きがある名前の人物が、異空間を覗かせるような地名の地で、こんな言葉を発すると、もう心は遠くどこかを彷徨うのではないだろうか。
「おや、つめくさのあかりがついたよ」
なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜜蜂のかおりでいっぱいでした。
宮沢賢治『ポラーノの広場』上23ページ田畑書店ポケットアンソロジーより
さらに大正末期、昭和初期に書かれた作品なのに、登場人物は夏用フロックコートを着ていたり、カフスをしていたり、現代の大量生産のフリース姿が歩いている街より、服装も個性的である。
さらに食べ物もオートミールとか……。
宮沢賢治の財政面での豊かさが、嫌味のない形で異空間に溶け込んでいる気がする。
ポラーノの広場の語源は、種子ポランに由来するという説も聞いたことがある。そうかもしれないが、人民を意味するイタリア語ポポラーノの意味もあるといいなと思いつつページを閉じる。