丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十一月八日「私は水晶だ」を読む
十一月八日は「私は水晶だ」と、世一の亡くなった祖父と世一しか存在を知らない、岩の奥にひっそりと存在する水晶が語る。
『千日の瑠璃』は「私は◯◯だ」と物に語らせる掌編を千以上書いてから、床に散らしたその文を拾いあげ、だんだんと一つのストーリーにしていった……というような成立過程を、丸山先生のオンラインサロンで伺った記憶がある。
以下引用文。
このあたりで欲望について記した文をまとめたのだろうか……という気もする。
一つ前の十一月七日では、世一の家族に大金を掲示して、丘の上の家と湖を結ぶケーブルカーの話をする女二人が出てくる。
十一月八日は、ひっそりと存在することに飽きてしまった水晶が、欲望の視線を求め、こう語ってみせる。
以下引用文で人間の欲望について語る水晶。その姿の不思議な佇まいに読んでいる方も思わず手に取って眺めてみたくなって、自然に欲望にかられてしまう。
私が見たいのは
欲望を剥き出しにした
ぎらぎらと燃えるような眼であり、
徒労とわかっていながら
なお執拗に迫ってくる
擦過傷だらけの腕であって
それ以外ではなかった。
その辺にいくらでも転がっている石ではなく
豆粒大のちっぽけな水晶でもない
稀有な私は
その中心部に青い鳥の羽毛を閉じこめている
まさに奇跡の宝石なのだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』17ページ)