丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より一月七日「私は国家だ」を読む
『千日の瑠璃』が最初に刊行されたのは1992年。この欲張りぶりに、まだ当時の日本はよくも悪くも勢いがあったのだなあと思う。
私は国家だ、
今はやまむなく猫をかぶって神妙にし
平和憲法と民主政治の常道を守ってはいても
あわよくば皇国にして帝国という立場へ返り咲く機会を
虎視眈々と狙っている
性懲りもない国家だ
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』254ページ)
以下引用文。今わたしが生きる日本の社会のようでもある。ただ日本という国も、大国の「ひと睨み」にびくびくしているような気もする。現状は、国家を超える国家に呑み込まれかけているのかもしれない。
不穏な言辞を弄する輩の数は
時代の潮流に呑みこまれて減りつづけ、
論敵として不足のない者も
今ではあまり見かけなくなり、
ということは
いよいよ愚民を束ねて扇動する機械の復活を意味し、
合いの手を入れるようにして
見識張った意見を吐く者も
私のひと睨みによって
たちまち見解の相違という穴蔵へ
さっさと避難してしまう。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』254ページ)
