丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より一月十五日「私は式典だ」を読む

「もしかすると一生成人できないかもしれない二十歳」の成人式が参加者に向ける視線は冷ややかで皮肉たっぷりである。
今読んでみると、こうした様子は若者だから、ということではないだろう。
『千日の瑠璃』が刊行された1992年の人々の雰囲気をつかんでる気がする。学生運動も失敗に終わり、経済だけが回転している時代。そんな時代に生きる人々の顔が見えてくる。
2025年の今を生きる若者たちはこの時代と違い、あまりにも酷い世の中に向かって懸命に声をあげようとしている……のではないだろうか。
かれらは議論を好まず、
持論を持たず、
ときには酒の力を借りて手前勝手な意見を吐露しても
自己愛に支えられた欲ボケのせいで
論旨が今ひとつ定まらず、
結局はだんまりの世界に閉じ籠もって
明日なき今を
ただ漫然と生きつつ
世間に調子を合わせているばかりだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』289ページ)
