丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より一月二十三日「私はトラックだ」を読む
一月二十三日は敵対勢力をやっつけようと、積荷の灯油入りドラム缶に火が放たれたまま深夜の町を走るトラックが語る。(それにしても何とも物騒な設定だ!)
「肢体が不自由な分だけ心が解き放たれている」という言葉は、小学校時代、当時の言葉で言う特殊学級に入れられ、結果、特殊学級の弱い子達と暮らし守ってきた丸山先生らしい言葉だと思う。
私たちが不自由だと思い込んでいる存在こそ、世間の競争や価値観から解き放たれて自由な存在なのだろうと思う。
「物の怪のごとき移動」という表現からも、世一の不思議な歩き方、表情が見えてくる気がする。
肢体が不自由な分だけ心が解き放たれている
なんとも奇妙な動きの少年が
私の前にひょっこり現れ、
何事かと思って
こっちをじっと見つめ、
まるで物の怪のごとき移動によって
みるみる迫ってくる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』315ページ)
