丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月十九日「私は三月だ」を読む
まほろ町の三月に反応する植物、獣、様々な人間たちの様子が書かれている。中でも前後からするとおそらく世一の姉が宿した、たぶん祝福はされないだろう胎児の想いが鮮烈に印象に残る。
かろうじて人間と分かるほどの肉体に宿る自由への想いが、何とも丸山先生の言葉らしいのではないだろうか。
あげくに
そろそろ人間でしかあり得ぬ形状を整え始めた
極めて発育順調な胎児には、
ひとたび子宮の外に飛び出した暁には
自分でも何をしでかすのか分からないほどの
あり余る自由と
あり余る野望を
嫌というほど付与してやる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』141ページ)