丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月三十日「私は風呂だ」を読む
長い間入浴を拒んできた物乞いのために、貸しボート屋の親父が川の中洲に拵えたドラム缶の風呂が語る。
入浴という日々の営みの中にも、身綺麗にして「面白くもなんともない普通の暮らし」に引き戻されてしまう危険を感じているのだなあと思いつつ読む。
ただ入浴という営みは、普通の暮らしから解放してくれる一瞬でもあるなあとも思う。川の中洲のドラム缶風呂に入って浮世を忘れてみたいものだ。
やがて私は
彼が忌み嫌っているのが私そのものではないことに気づき、
恐れていたのは
私がきっかけとなって
真っ当と言えば真っ当な
面白くもなんともない普通の暮らしへと、
働いて
妻子を養うだけの生活へと
引き戻されるかもしれないということだった。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』185ページ)