中原中也「北の海」
福島泰樹先生の中原中也講座へ。そこで読んだ中原中也の詩の一つ「北の海」を以下に。
北の海
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
曇った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるとも知れない呪。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
講義によれば、この頃の中也はシェークスピアを読んでいて、人魚は「夏の夜の夢」にでてくる人魚から連想したのでは……とのこと。
ランボーの「海」の影響も感じられ、中也の自分を育てあげてくれた詩人への想いから生まれた詩とも言われていた。
漢字と平仮名の使い方がうまく、「歯をむいて」の「むいて」も漢字にすると強くなり過ぎてしまう。「いつはてるとも」の平仮名も……。
そんなふうに歌人の視点で説明されて、中也の詩に惹きつけられる理由が少し分かった気がする。
中也がそれまで大切に抱えて生きてきたものを言葉に紡いだ詩だから、思わず呟きたくなるものがあるのだろうか?
ただ最近、教科書に中原中也の詩があまり掲載されていないせいだろうか?若い方々の多くは、中原中也を知らない気がする。
そんな若者に「汚れちまつた悲しみに……」を教えると、困ったような顔をして「こういう言葉にどう反応すればいいのか分からない」と言う。
国が実用的な国語育成を目指してきた結果なのかもしれない。
中也の詩を呟く楽しさが分からない若者を大勢育ててしまった……ことに、前の世代に生きている者として心に罪悪感を感じないではいられない。