丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月二十四日「私は下界だ」を読む
不自由な世一と全盲の少女が散策するうちに、生まれて初めての郷里の外に踏み出す。その下界が語る。
二人の感動を伝えるのに、二人の視点ではなく、感動を向けられている下界の視点で書く……という発想が斬新。
下界の高鳴りを読んでいると、幼い二人の感動がひしひしと伝わってくる。
漢字ではなない「ふたり」という平仮名に仲良く歩く姿が感じられる。
「私のなかの空気」という「なか」も、やはり平仮名ゆえ風が感じられるようで心地よい。
「私ごとき取り柄のない者」「今の今まで 一度も」という大袈裟な言い方が、下界というあり得ない存在をはっきり見せてくれる気がする。
峠を越えたふたりは
確かにまほろ町の外へ十数歩ばかり出て
間違いなく私のなかの空気を呼吸しており、
高鳴る心を抑えなければならないのは
むしろ私のほうで、
なぜとなれば
私ごとき取り柄のない者が
そこまで人を感激させたことなど
今の今まで 一度もなかったからだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より283ページ)