丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月七日「私は若葉だ」を読む
「放火による山火事で真っ黒焦げになってしまった木々の枝を 見事にふたたび彩る」若葉が語る。
今年じゅうには元通りの山になると分かっている昆虫、鳥、そして世一。
一方、待つことができず開発に駆り立てられる大人たちの姿に、丸山先生の静かな怒りを感じる。
無感動にして無目的な日々をだらだらと生きる人々は
待つことにはもう飽き飽きしたと言い、
自然は甦るという私の持論に
まったく耳を貸そうとしなかった。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』59ページ)
やがて無惨にも切り倒されてゆく木々。
少年世一の「いいのかな それでいいのか」という震え声が、森の神様の声にも思えてくる。
地肌が露わになって
形のいい山が単なる土と岩石の塊に様変わりしたとき、
どこからともなく
少年世一の震え声が届き、
「いいのかな
それでいいのかな」というその言葉に
私たちは深い賛同を覚えながら
ばたばたと斃れてゆく。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』61ページ)
丸山先生に枯れかけた木の相談やらすると、「少しずつ上から切って、芯に水分があるところまできたら切るのをやめて、切口に木工ボンドを塗るように。全部切り倒してしまわないように」とか「その木は種から育てることができる」とか、本当に木や植物を心から慈しんで大切にしているんだと思う。
そんな丸山先生の思いが滲む文である。