丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月二十四日「私は悟りだ」を読む
「はみ出し者の若い修行僧が得たちっぽけな悟り」が語る。
「悟り」は橋の下で寝る物乞いと托鉢をする修行僧の間に、どんな違いがあるのか問い詰める。
返答に窮した僧侶は
自信のない視線をあやまち川へと転じて
ため息を二度三度と漏らし、
そこで私はなおも迫り
「おまえは迷っていて
この男は迷っていないという
ただそれだけの差ではないか」と
そう畳みこんでやった。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』128ページ)
悟りのおかげで修行僧は、物乞いと紛らわしい托鉢をやめ、労働によって物乞いと一線を引こうとする。
托鉢への厳しい表現に、一貫して宗教の生臭い面を問い続けてきた丸山先生の視線を感じる。
今でも時折駅前で見かける托鉢の僧。いったいどんな心持ちで、何を求めて托鉢をしているのだろうとも思う。
つまり彼は
その足で貸しボート屋へと出向き、
私から最も遠くて最も近い存在の
難病を背負わされた少年の相手をしていたおやじは
僧侶の申し出を快く引き受けて
「そいつはいい心掛けだ」と言い、
三人は肌色の月を愛でながら
大皿に山盛りにされた草餅を食べ始めた。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』129ページ)
「私から最も遠くて最も近い存在」と世一を表現した言葉、色々考えさせられる言葉である。