だが更に重要な理由とは、産業労働者の生活の経済状態の大半も、現代の経済学がかかわる製造、分配、消費の方法の大半も、最近、考えられたものでしかないということにある。本質における変化が、ある部分において、外に現れる形における変化ほど大きくはないということも真実である。さらに現代経済理論の大半は、最初にうける印象よりは、保守的な集団に適合させることができるものである。しかし本質における一致というものは、さまざまに変化する形の基礎をなすものであり、見つけるのはたやすいものではない。形式における変化が、あらゆる経済学者に影響をおよぼすため、別な状況で過去の経済学者のやり方を踏襲しておこなったとしても、過去の学者のようには役立たない。(1.1.11)
現代の生活における経済状態はさらに複雑なものになっているが、多くの点で、過去の経済状態よりも明確である。仕事とは、他の関心事よりも明確に区分できる。他人にたいする個人の権利と社会にたいする個人の権利は、さらに明確に説明することができる。とりわけ習慣から解放されて自由活動が活発になることで、常に用心するようになり、大仕事に奔走するようになる。また新たな正確さと新たな重要性が生じ、異なるものと異なる労働の相対的価値を左右する根拠がうまれてくる。(1.1.12)