アルフレッド・マーシャル 経済学原理 1.Ⅱ.11~12

二人のひとの収入が等しいとしても、その収入から等しい利益をひきだしていると言うのは、危険だろう。また収入を同じ程度に減らされたとしても、同じような苦痛をうけていると言うことも危険だろう。一年に300ポンドの収入がある二人のひとから、税金を1ポンドとるとき、二人とも一番簡単に手放すことのできる1ポンド分の喜び(それとも満足)をあきらめることになる。すなわち、そのひとにとって、1ポンドで測れるものをあきらめることになるだろう。しかしながら、あきらめた満足の度合いは、等しいものではないかもしれない。(1.1111

 

それにもかかわらず、もし、つり合いをとりながらも個人の特質を生じるのに十分な平均をとるとしよう。同じくらいの収入の人が利益を得ようとして、あるいは損害を避けようとしてだすお金は、利益や損害を測る良い手段となるだろう。仮にシェフィールドに、数千の人が住んでいて、リーズにも数千人が住んでいるとする。それぞれが年に100ポンド稼ぎ、1ポンドの税金を課せられるとする。税金のせいでシェフィールドにおいて失われる喜びや被る損害も、リーズでひきおこされる喜びや損害も、同じような価値があるにちがいない。そして1ポンドによって増える収入が何であろうと、二つの町において同じように、喜びや、その他の利益の支配権を握るだろう。もし同じ商売をしているひとならば、こうした可能性が高くなる。おそらく感受性や気質も、どこか似ているだろうし、好みや教育も似ているからである。家族を単位としてとらえても同様である。二つの都市で、年収が100ポンドある数千の家族の収入が1ポンド減少した結果、失われる喜びと比べてみたとしても、こうした可能性は減らないのである。(1.Ⅱ.12

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