それとは反対に、尊敬に値する徳でありながら、その行動がもっとも完璧な礼儀正しさには至らない徳というものも、しばしば存在する。なぜなら、徳を実践することが極めて難しい状況で、完璧な礼儀正しさを期待することはできない。礼儀正しさに欠ける行動のほうが、まだ礼儀正しいかもしれない。よくあることだが、こうした場合、自制するよう最大の努力を求めることになる。ある状況においては、人間の特質にしっかりと根ざしたものがある。すなわち自制心を最大限に発揮してみたところで、不完全な生き物である人間がすることだから、人情味あふれる弱い声をおさえることは出来ない。また激しい情熱を中庸の極みまで減じることもできない。でも中庸をとれば、公平な観察者も情熱を体験することができる。こうした状況では、受難者の行動は完璧に礼儀正しいとは言えないまでも、何らかの賞賛に値するし、ある意味において徳と呼んでいいものなのである。
その行動から、心広く寛大であろうとする努力が、伝わってくるかもしれない。だが、たいていの人はうまくいかないものである。すべて完璧という状態には到達しないかもしれない。でも、試行錯誤の過程で発見され、要求されるものに比べれば、大体において、完璧にちかい状態であるかもしれない。(1.1.47)