肉体的な苦痛に対して共感をいだくことはあっても、その共感がいつまでも礼儀正しくあるための礎になることもなければ、苦痛に耐えるための忍耐力の礎となることもない。非常に厳しい拷問をうけていても、弱みをみせず、うめき声をもらさず、共感を分かち合うことのない人は、私たちから非常に高い賞賛をうけるものである。そうした堅固さがあるおかげで、厳しい拷問をうけている人は、私たちの冷淡さにも、無関心さにも合わすことが可能なのである。こうした趣旨でおこなう気高い労苦に対して、私たちは賞賛し、心から賛成するのである。そうした人の態度が正しいと認めつつも、人間の特質に共通する弱さを体験することで私たちは驚き、賞賛に値する行動がどうすれば可能かと不思議に思う。賞賛の感情とは、不思議に思う気持ちと驚きが入り混じって喚起されるものであり、そこから賞賛とよぶにふさわしい感情が構成される。賞賛の気持ちから拍手喝采をすることも、これも自然な表現である。(1.Ⅱ.14)