アビジット・バナジー 「なぜ貧困と闘うことが難しいか」 3回

異議を申し立てたい事柄

 

貧しいひとを定義するどんな方法でも、もちろん、その方法を用いるひとがその方法を用いて貧しい人を定義することを認めたときだけ役に立つのである。すでに述べたように、簡単な基準を用いるにしても、貧しいひとを定義することは大変な作業である。だが、こうした貧しさには、正しく理解するだけの強い根拠があるものか定かではない。生活保護の一覧に名前をのせる決定権をにぎるひとが、好意のみかえりとして何かを請求することは想像に難くない。もし本当に貧しくて支払いをする余裕がないとしても、生活保護の決定権をもつ人があなたの生活保護カードを横流ししてしまい、受けるべきでない人に渡してしまう。生活保護の基準について説明するときに、寛大になってしまうという自然な傾向もある。誰からも非難される危険がなければ、基準に達していないからといって相手を拒むことはないだろう。

 

こうした事柄と一致するものだが、インドにおける最近の研究で、貧しいひとの数とBPL(貧困ライン以下)カード所有者を比較して出した結論がある。それによれば、BPLカードを所有しているひとの方が、貧しい人の数よりも2300万人も多いということである。(NCAERが2007年に、タイムズ・オブ・インディアに報告)。国際的なNGOトランスパランスィ・インターナショナルが、インド・メディア研究センターと協力して行った別の研究でも、こうした目標設定の誤りについてもっと強く指摘している。トランスパランスィ・インターナショナルは家庭をランダムに選び出し、経済状態とBPLカードの所持の双方について質問をした。この研究によれば、実際にBPLの範囲にある家庭の2/3は、BPLカードを所有していた。彼らが使用した経済状態を測定する方法とは荒削りなものではある。それでも、先ほど述べたフィルマーとプリチェットのように、財産のデータを使って測定する研究よりは優れている。そうであるならば、実際のところ、この結果はひどいものではない。もちろん、その中には罪なこともあるが(2300万枚もの余計なカード)、これは貧しいグループのなかで、はっきり違いをつけようとすることが困難なことであり、おそらく意味がないことであるという事実を反映している。

 

しかしながらカルナタカからの更に詳しい研究報告は、このように親切に解釈することを阻むものである。2007年にアタナソバのバートランドとムライナサムが、カルナタカ州のライチュール地区にある173の村で、21世帯を対象にして調査した。それぞれの家庭で、政府によるBPL(貧困ライン以下)の分類を用いたデータを集め、そのデータをもとにして独自のBPLの一覧を作成した。対象となった村では、57%にあたる世帯にBPLカードが支給されていたが、実際、BPLカードの支給が妥当な家庭はわずか22%だった。さらに48 %の家庭が間違った分類をされて分けられていた。その中でわかる罪とは、BPLカードが支給されているが、それが妥当ではない家庭が41%あるということである。データの外に追いやられている罪とは、BPL支給が妥当であるにもかかわらず、支給されていない家庭が7%に近いということである。こうしたことが意味するものとは、BPLカード支給が妥当である家庭の1/3がカードを支給されていないということである。一方で、支給が妥当ではない家庭の1/2にBLPカードが支給されている。さらに心配なことに、富の代わりに収入を用いて測定すると、BPLカード支給が妥当でない家庭の中でも一番貧しい家庭は、BPLカードが支給される家庭ではない。とりわけBPL支給が妥当な範囲より少し上にいる者たちである。すなわち年収は12000ルピーと2000ルピーのあいだであるが、収入20000ルピーから25800ルピーある者には含まれない者たちである。だが、もっとも豊かな人々の中でも42%にあたる人々には(38000ルピー以上の収入がある者たち)、BPLカードを支給されている。カード支給が妥当ではない家庭が含まれている理由を調査すれば、村の役人と社会的につながっているという事実がもっともな予測変数として判明する。

(バナジー氏の許可のもとに翻訳しています。これまでの内容は、上記アビジット・バナジーの部屋をご覧ください)

 

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