アビジット・バナジー 「なぜ貧困と戦うことは難しいのか」

1-4 貧しさの研究にもっと参加してみる

 

村のエリートが貧しさを証明して記録していくという事実は、なぜ人が変われば、貧しさへの取り組みが著しく異なってくるのかということを示す理由のひとつになるのかもしれない。なぜ(村のように)小さな社会なら、自分たちのなかで本当に貧しい者を見つけることができるという事実を利用しないのだろうか。そして一人一人の村人には歪曲したくなる理由がはっきりと十分にあるけれど、もし情報を十分にたくさん集めたら、歪曲したくなる理由もトーンダウンされるかもしれない。

 

インド最大のマイクロ・ファイナンス協会のバンダムは、こうした取り組みを活用して、彼らのウルトラ貧困プログラムの恩恵をうける人を決めた。このプログラムのもとで、マイクロ・クレディットの傘下に置かれた人々と同じくらいに貧しいと定義された家族には、「財産」という贈り物(牛が一頭であったり、山羊が二、三匹であったり、脱穀調整器であったりする)をしたり、短期の収入補助を与えた(財産から負債を払い終えるまでのあいだ)。このおかげで人々は悲惨な貧困から永遠に救われるかもしれないという希望をいだき、村の貧乏な人たちの中でも主流をなす人々の中にはいりはじめた。ウルトラ貧乏を定義するために、このプログラムを最初に提案したバングラディッシュのNGOのBRACによって研究された方法にしたがって、バンダンは参加型農村評価(PRAs)を村で実行した。PRAにおいては、村の様々な部門から抽出された最低でも12人の村人が一緒に座り、それぞれの家庭がどの居住地にいるのかという村の地図をうめた。それから家庭を、一番貧しいグループから一番豊かなグループまで六つのグループに分けた。PRA(参加型農村評価)の結果、バンダムは低く評価された家庭から、およそ30の家庭を選んだ。

 

バンダンの調査はここでとまらなかった。その後、この30の家庭について財産や他の情報をあつめ、最終的に10の家庭がウルトラ貧困のプログラムの対象となるように選んだ。しかしながら私たちは、とても貧しい人を対象とするPRAの効果について関心をもったが、ある点、PRAの効果はこの取り組みの有効性を証明している(2008年のバナジー、カトパデェー、デュフロ、サピロを参照)。PRAの下二つのグループに分けられた人々が所有する土地は、調査された他の人々より0.13エーカー少ないのだが、やがてこうした人々が所有する平均的な土地の所有とは、実際には0.11エーカーであることを知り仕方ないと思う。同じようなことだが、調査した村民のうち34%がいつも十分な食事をとっていないが、この割合はPRAの中でも一番貧しい二つのグループのあいだでは17%高くなる(結果として50%になる)。こうした家庭は学校教育も受けさせようとしないし、子供や障害のある家族には学校をやめさせようとする。

 

(新しく訳したところは、以下の部分です)

 

PRA(参加型農村評価)が役に立たない分野とは、消費の貧乏人を定義するときであるが、こうした村においてBPLカード(生活保護カード)も消費とは相関関係がないことに気がつく。しかしBPLカードと異なり、PRAは土地が十分ではないことを予測したり、十分な食事を二回とれないことを予測したりすることが可能である。

 

村人にはそのため、公共の福祉において、自分たちが使用することができる、あるいは使用しても構わない情報というものがある。とりわけ村人の情報というものは、貧しい人々のグループのなかでの区別を可能にするものかもしれない。

 

不幸なことに、少なくともこれらの村において、PRA(参加型農村評価)は私たちの調査の対象となった者のうち四分の一のデータを失ってしまい、そうした人々の名前はもうわからない。私たちの調査は意識して貧しい人に重点をあてているけれど、それはこうした人々が身近な問題と関連があるためである。基本的に数百人の村においても、「去る者」は「日々に疎し」のように見えるかもしれない。PRAは比較的適切でると判断した人々を分類しているが、見逃した人々はどうなのだろうか。

 

PRAの研究について更にもう一つ興味深いことがある。それはその取り組みが役に立つのは、平均的に貧しい人の定義づけではなく、ウルトラ貧乏にある人々を定義づけるということである。ほとんどの人がおそらく感じていることだが、ウルトラ貧乏な人より自分たちのほうが上位にあり、そのためノブレス・オブリージ(高い身分にともなう貧しい人を助ける義務)が生じ、こうした不幸な人を助けるという観点から考えるようになるということである。平均的に貧しい人を定義する場合、ほとんどの村人が感じることとは、他の人も同じように援助を受けるのがふさわしいということであり、そのため意見が一致しなかったり争いになったりする。

 

それにもかかわらず、こうした水先案内の試みの結果は大いに見込みのあるものなので、これらの事柄をもっと研究するべきである。おそらく二つの試みを行うべきであろう。まず、財産にもとづいて貧乏だという可能性のある人の一覧を考えてみなさい。それから村の人々に、優れた情報にもとづいてリストを書いてもらいなさい(忘れ去られる人々がでる危険を減らすためである)。これと同じような、異なる試みを混合しながら考えることができるだろう。進行中の研究では、レマ・ハンナ、ベン・オルケン、ジュリア・トビアス、そしてMITのアデュル・ラティフ・ジヤミール反貧困ラボからは私が加わり、ヴィヴイ・アトラスとジャマイカにある世界銀行の彼女のチームが考えた実験とは、調査の効率を厳しく比較するためのものであり、貧しさを定義するための方法であり、こうした複数の試みを研究するものである。

 

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