『遊女物語』を出して後
身は遊女、辛くても、悲しくても、借金の抵当に、手も足も束縛せられて、心の思ふままに起つことも、動くことも出来ず、日ごと夜ごと肉を売り、偽りの情けをひさいで、世の浮かれ男に、侮蔑せられ、愚弄せらるる醜骸にも、猶ほ聊か思ふ思ひの存するありて、わが身を苦界に沈めし事の始終より、苦界に入りて、見しこと、聞きしこと、思ひしこと共を書き記し、其れを『遊女物語』と名づけて、世には出だしました所、不束な身の仕合せなのか、さりとも不仕合せなのか、意外の評判を蒙むりまして、新聞には歌はれる、態々此の賤しい身を訪ねて、御同情やら、お世辞やら、お世話やら心々に持ち運んできて下さるお客様も、少なくないと同時に、身に降り掛かつて来た、非難やら、迷惑やら、冷評やら、心配やら、困難やらも亦雨のやうで、楼主からは叱言を喰ふ、朋輩からは、嫉妬交じりの嫌味を言はれる、『診て貰った先生』までも、事実は棚の上に上げて置いて、身の名誉が何うの斯うのと、東京日々新聞を突付けての強談判、すると亦、彼の本の中で罵倒せられたお客様から、脅迫の文句で埋めた手紙が来る手紙を引張り出されたお客の中には、更に手紙を寄越したり、亦は自身わざわざお登楼になつたりして、僕の名誉を毀損したと、私をお責めになる方もあり、或は、此の手紙に僕の名は変つてゐるが、もと居た家の町名番地が書いてあつたり、病気をして転地すたことが載つてゐたりするから、知る人が読んで見ると直ぐに僕だと云ふことが判るに相違ない、若し此の事が、僕の親父(世に名ある人)に知られ、又妻の里(有名な金満家)にでも知られたら大変、其れこそ僕の一生の浮沈に関する大事だ、再販には是非彼の手紙の所を削除して呉れなどなど、頻りに迫つて来る人もあつたりして、私は一時困惑の極に達し、ますます苦界の苦しさを覚え、直ぐにも飛び出したいのですが、縛られてゐる身は、思ふに任せず、ええ儘よ、何うせ苦界だ、何處まで自分は、此の苦しみに堪へ、嫌な思ひを忍び、自分の立場に立つて行くことが出来るであらうかと猶ほ笑顔の中に悲しみをつつみ、強い言葉の中に弱い心をおおひ、泥水の中に身は汚れて、洗ひも得せずゐるのであります。