明治花魁日記「遊女物語」4回 大正二年 和田芳子

『遊女物語』を出して後

 

身は遊女、辛くても、悲しくても、借金の抵当(かた)、手も足も束縛せられて、心の思ふままに()つことも、動くことも出来ず、日ごと夜ごと肉を売り、(いつは)りの情けをひさいで、世の浮かれ()に、侮蔑せられ、愚弄せらるる(しう)(がい)にも、()(いささ)か思ふ思ひの存するありて、わが身を苦界に沈めし事の始終(しじゅう)より、苦界に()りて、見しこと、聞きしこと、思ひしこと(ども)を書き記し、()れを『遊女物語』と名づけて、世には出だしました所、不束(ふつつか)な身の仕合せなのか、さりとも不仕合せなのか、意外の評判を(かう)むりまして、新聞には歌はれる、態々(わざわざ)此の賤しい身を訪ねて、御同情やら、お世辞やら、お世話やら心々(こころこころ)に持ち運んできて下さるお客様も、少なくないと同時に、身に降り()かつて来た、非難やら、迷惑やら、冷評(れいひやう)やら、心配やら、困難やらも(また)雨のやうで、(ろう)(しゅ)からは()(ごと)()ふ、朋輩(ほうばい)からは、嫉妬交じりの嫌味を言はれる、『診て貰った先生』までも、事実は棚の上に上げて置いて、身の名誉が()うの()うのと、東京日々新聞を突付(つきつ)けての強談判(こわだんぱん)、すると亦、()の本の中で罵倒せられたお客様から、脅迫の文句で(うづ)めた手紙が来る手紙を引張(ひつぱ)り出されたお客の中には、更に手紙を寄越(よこ)したり、亦は自身わざわざお登楼(いで)になつたりして、僕の名誉を毀損(きそん)したと、私をお責めになる方もあり、(あるひ)は、此の手紙に僕の名は(かは)つてゐるが、もと居た家の町名番地が書いてあつたり、病気をして転地すたことが載つてゐたりするから、知る人が読んで見ると直ぐに僕だと()ふことが判るに相違ない、()し此の事が、僕の親父(世に名ある人)に知られ、又(かない)の里(有名な金満家)にでも知られたら大変、()れこそ僕の一生の浮沈に関する大事だ、再販には是非彼の手紙の所を削除して呉れなどなど、(しき)りに迫つて来る人もあつたりして、私は一時困惑の(きょく)に達し、ますます苦界(くがい)の苦しさを覚え、()ぐにも飛び出したいのですが、縛られてゐる身は、思ふに任せず、ええ(まま)よ、()うせ苦界(くがい)だ、何處(どこ)まで自分は、此の苦しみに堪へ、嫌な思ひを忍び、自分の立場に立つて行くことが出来るであらうかと()ほ笑顔の中に悲しみをつつみ、強い言葉の中に弱い心をおおひ、泥水の中に身は汚れて、洗ひも()せずゐるのであります。

 

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