と、さんざんに叱言を喰はされ、嫌なことを言はれましたが、實を云ふと、私は寧ろ女将さんから、「お前がまあ、彼の忙しい中に、斯の本を書いたかい、大萬楼から花魁の作者が出たと、お蔭で私の鼻が高くなるわ。」くらゐに、ほめられたかつたのである。然るに、意外にも、身勝手屁理屈のお叱言を頂戴した。蓋し花魁達の不平と云ふのは、かねて私と仲の悪い人達が、嫉妬交じりに、お女将さんを燃け付けたのである。私は心に少なからぬ不平と不快を抱いて、其のまま見世に出た。
直ぐ初會の客が登楼つたので、私は二階の自分の部屋で、其の鉄道院の役人とか云ふ客を待遇してゐると、再び女将さんに呼ばれて、行って見ると、女将さんの話に、
「今二六新聞社から電話が掛つたから、私が出て聞いて見ると、お前の本名を、何と云ふか尋くんだよ。變だと思つたから、私は君香なんて云ふ女郎は、此楼にはゐませんてッて切つて了つたんだよ。お前へ、二六へ、何か書いたものでも、送つてゐや仕ないかえ。」
「否え、私、そんな事知りません。」
「さうかい」
と、女将さんはなほ、怪訝いと云ふやうな顔をしてゐましたが、私は面倒くさいから、直ぐ部屋に返つた。