『竜潭譚』
作者:泉鏡花
初出:「文芸倶楽部」1896年(明治29年)
青空文庫
(写真は「鏡花怪異小品集おばけずき」)
簡単にいえば、神隠しにあった少年の物語である。
何回読んでも、ここにはどういう意味があるのだろうか…と考えてしまう箇所が次から次に出てくる作品である。だが、そうして立ちどまることが楽しい。すっきり明確に進んでいく隙のない話よりも、読むたびに考え込んでしまう『竜潭譚』の方が楽しい…そんな分からない楽しさを再確認させてくれる作品である。
姉に内緒で躑躅の丘を訪れた少年、その躑躅の丘の描写は何度繰り返しても心地よく、夜中にぶつぶつ呟いてでも読みたくなる。
「行(ゆ)く方(かた)も躑躅なり、来し方も躑躅なり。山土の色もあかく見える。あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふとき」
躑躅の丘で迷子になった少年を語るくだりでは、少年の背中がみえてきそうである。
「再びかけのぼり、またかけおりたる時、われしらず泣きてゐつ。泣きながらひたばしりに走りたれど、なほ家ある処に至らず、坂も躑躅も少しもさきに異らずして、日の傾くぞ心細き。肩、背のあたり寒うなりぬ。ゆふ日あざやかにぱつと茜さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅の雪降積めるかと疑はる」
先日、読んだ翻訳書ではすべて「ブルー」と表記していて寂しい気がしたけれど、鏡花にかかれば
「空のいろの真蒼(まさお)き下」
「空の色も水の色も青く澄みて」
「白き鳥の翼広きがゆたかに藍碧(らんぺき)なる水面を」
「薄暮暗碧を湛える淵」
とブルーをあらわす日本語はこんなにもあるものかと思う。
「ブルー」一語で読者に想像させる書き方もあるのだろうが、どの漢字で表現するのか、そんなセンスまで含めて楽しみたい。…というわけで脱線読書道はきわめて偏ったものとなっていく。
2017年7月⒚日読了