『おばけずきのいわれ少々と処女作』
著者:泉鏡花
初出:明治40年5月「新潮」
平凡社「鏡花怪異小品集 おばけずき」
ISBN:978-4-582-76764-3
隙間読書もいいところであるが、でも短くはあるけれど鏡花の価値観やら当時の文壇の状況やらが凝縮された文である。
「僕には観音経の文句―なお一層適切に云えば文句の調子―其ものが有難いのであって、その現している文句が何事を意味しようとも、そんな事には少しも関係を有たぬのである」
なるほど、鏡花の作品を読むと夢幻の心地になるけれど、意味があんまり頭には残っていない…というのは、鏡花のこのスタンスのせいかと少し安心。
明治二十七年、日清戦争のときの文学者たちの窮乏ぶりとそれを救った春陽堂についてこう鏡花は記している。
「二十七八年戦争当時は実に文学者の飢饉歳であった。未だ文芸倶楽部は出来ない時分で、原稿を持って行って買って貰おうというに所はなく、新聞は戦争に逐(お)われて文学なぞを載せる余裕はない。所謂文壇は餓ひょうありで、惨憺極まる有様であったが、この時に当って春陽堂は鉄道小説、一名探偵小説を出して、一面飢えたる文士を救い、一面渇ける読者を医(いや)した。探偵小説は百頁から百五十頁一冊の単行本で、原稿料は十円に十五円、僕達はまだ容易に其恩典には浴し得なかったのであるが、当時の小説家で大家と呼ばれた連中まで争ってこれを書いた。先生これを評して曰く、(お救い米)」
でも春陽堂のホームページをみても、尾崎紅葉が「お救い米」と述べたような状況に言及していない。なぜだろう? どこまでも奥ゆかしい出版社なのだろうか?
鏡花の二番目の作品は、探偵小説「活人形」だということも初めて知った。「活人形」…題だけで心そそられる作品だが、筋も気になるところ。目次をみたが、探偵小説というより怪奇小説なのでは?…と思いながらも脱線読書道を進んでいく。
読了日:2017年7月22日