(写真は文楽「夏祭浪花鑑」の団七)
「夏祭浪花鑑」は元宿無し団七が「顔がたたない」と何度も言って道をふみはずしていく情けなさ、欲張り爺の舅・義平次の業の深さに面白さがあると思うけど、歌舞伎ではそれを演じてしまう訳にはいかないのだ…と発見。
歌舞伎では、役者は格好よくなければいけない、情けない男であったり、欲張り親父を役者に演じさせる訳にはいかないのだ。
すべての悲劇の原因をつくるトラブルのおおもとである伊達なだけの優男、磯之丞が登場する場面も、文楽、歌舞伎では受ける印象がかなり異なっていた。
文楽では、この情けない優男は籠かきに「籠代をだせい」と求められ、拒むと籠を揺さぶられ、挙句の果てに籠から転げ落ちてしまう。床本に、「内より出でたは磯之丞、落ちるはづみに膝すりむき」とあるとおりの演出。最初から頼りない感じがよく出ている。
でも歌舞伎では、こうはいかない。この優男・磯之丞は駕籠かきの要求をスルーし、籠からおりると格好良く決めて歩き出す。駕籠かきが掴みかかろうとしてもヒラリとかわす。お客さんの前に役者が顔をだす初めての場、やはり、歌舞伎では格好良く決めなければいけない場なのだろう。
役者さんに惹かれて観ている観客は歌舞伎の演出に満足するだろうが、もともとの床本にある優男・磯之丞の情けなさに笑いを感じたい私には、人形の磯之丞が籠から放り出され、膝をおさえながら出てくる文楽の方が面白い。
文楽も、歌舞伎も、観客が求めているものに合わせたものになっていると発見。