「真景累ヶ淵」
作者:三遊亭圓朝
初出:1887年(明治20年)から1888年(明治21年)「やまと新聞」
青空文庫
全97章。
今の基準にすれば実に長い作品だが、不思議と長さを感じさせない。
文楽の現在上演されていない段にも感じるのだが、昔のひとは物語の世界を楽しむとき、一日、二日かけ、物語にひたっていたのだろう。現在とは違う時間軸が流れているようで、まず何とも羨ましく思える。
話を簡単にまとめてしまえば、旗本深見新左衛門が借金を踏み倒そうと、盲目の金貸し皆川宗悦を殺害。その後、両家の子孫が出会っては愛憎にかられ、また殺害を繰り返し…の連続。いったい何人が死んだことやら。登場人物相関表があればと思うけれど。
長い。でも「どうなっしまうのだろう」と不安にさせ、時に怖く、時にホロリとしたり、敵にあたる男女の出会いの場がいつも墓場であったりとクスッと笑わせる。落語だから当たり前だが、怪談でありながら笑わせる場がある余裕が楽しい。このクスッと笑わせる感覚は英国文学のユーモアにも相通じるものではないだろうか。
とにかく長くても最後まで読ませる作品である。
でも部分だけ読んでも十分面白い。暇な私と違ってお忙しいひとは、1章から5章まで金貸し皆川宗悦が殺される場面をお読みになれば、三遊亭の語りを堪能できるかと思う。
さらにお忙しい方は次の冒頭部分だけでも。怪談話が廃れつつある風潮を語るこの冒頭で、三遊亭の世界を堪能できるかと思う。
「今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、却って古めかしい方が、耳新しい様に思われます。これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、或は流違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国羽生村と申す処の、累の後日のお話でございまするが、これは幽霊が引続いて出まする、気味のわるいお話でございます。」
ちなみにこの作品から二十年後、泉鏡花はお化け好き宣言をする。進取の気持ちに富んだ明治の世にあって、怪談話やおばけの話を語ってくれた先人たちの苦労を想いつつ頁を閉じた。
読了日:2017年8月20日