2017.10 隙間読書 江戸川乱歩『押絵と旅する男』

『押絵と旅する男』

作者:江戸川乱歩

初出:「新青年」1929年6月号

汐文社文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション 恋

私を文楽に導いてくれたのは、何といっても乱歩である。乱歩「人でなしの恋」を読まなければ、文楽とも無縁の人生だっただろう…と思うと、ほんとうに乱歩にはいくら感謝してもしきれない。

「押絵と旅する男」にも、乱歩の人形への深い愛を感じさせるくだりがある。文楽人形だろうと、押絵の人形だろうと、人形を心から愛している者でなければ、こうは書けないと、乱歩の人形愛にまず感動した。

文楽の人形芝居で、一日の演技の内に、たった一度か二度、それもほんの一瞬間、名人の使っている人形が、ふと神の息吹をかけられでもしたように、本当に生きていることがあるものだが、この押絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、命の逃げだす隙を与えず、とっさの間に、そのまま板にはりつけたという感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである。


あらすじは、富山からの帰りの列車のなかで、「私」は押絵を手にした不思議な老人と出会う。老人は手にした押絵の由来を話しはじめる。「私」と仲のよかった兄が浅草で遠眼鏡ごしに見た娘に恋をしたこと。その娘は押絵のなかの娘であったこと。兄も押絵のなかに入ってしまい、娘と睦まじく暮らしたこと。でも月日がたち、兄は老人の姿となるが、押絵の娘はいつまでも若いまま…老人はそう語って聞かせる。


この話の魅力は、どこまでが現実で、どこからが夢の世界なのか、曖昧模糊とした世界をあじわえること。こう始まる冒頭部分も、現実のあいまに垣間見える幻の世界の魅力を伝えてくれる。

この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったならば、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに相違ない。だが、夢が時として、どこか世界と喰違った別の世界を、チラリと覗かせてくれるように、また狂人が、我々のまったく感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったのかもしれない。

蜃気楼、押絵、遠眼鏡、蜘蛛男や娘剣舞など浅草の見世物小屋、ドロドロと太鼓の鳴っているような音、玉乗りの花瓦斯…と現実か幻か分からない世界を味わう。


最後の「私」が列車の老人と別れる一文は短いながら、それまでの読みをひっくり返してしまうような驚きと戸惑いをあたえてくれる。

細長い老人の後姿は(それがなんと押絵の老人そのままの姿であったか)簡略な柵のところで、駅員に切符を渡したかと見ると、そのまま、背後の闇の中へ溶け込むように消えて行ったのである。

列車の老人が押絵のなかの老人なのでは? 列車の老人も、兄と娘を見守るうちに、娘に恋をして押絵にはいってしまったのでは? それとも、列車の老人も、押絵の老人も、「私」の狂気がつくりだしたもの、すなわち「私」なのでは?

東氏も、「ドッペルゲンガー妄想へと読者を駆りたてるような不穏な描写である」と註をいれている。

真相のない作品、其々の読み方で楽しめる『押絵と旅する男』はいいなあと思う。

読了日:2017年10月19日

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