Edward Bulwer Lytton (1803~73)の”The haunted and the haunters”(1859年)を原文、『竜動鬼談 開卷驚奇』(ロンドンキタン カイカンキョウキ)井上勤訳 (1880年 明治13年)、『幽霊屋敷』平井呈一訳(1969年)を読み比べてみた。
リットンの英語は、今の英語とさほど変わらない。でも井上訳、平井訳、どちらも魅力的だけれど、井上が訳してから89年のあいだに、日本語も、翻訳の仕方も大きく変わったのだなあと改めて実感する。
井上の『竜動鬼談 開卷驚奇』というタイトルは、強く印象に残る題である。幽霊屋敷談にとどまらず、最後に不老不死の男がでてくる本作品にふさわしい…と思って井上訳を読んでみたら、なぜか井上訳は途中の幽霊屋敷のところで終わっている。
ラテン語で書かれた呪文の紙を焼き捨て、無事に主はその屋敷に住んだ…という箇所で井上訳は終わりをむかえる。そのあとに登場する不老不死の男は影もかたちもなく、主人公と不老不死の男とのやりとりは出てこない。
井上が短縮してまとめたのだろうか、それとも原作に二つのヴァージョンがあったのだろうか…真相は不明ながら、平井訳は現在読むことができる原本のままである。
Still there was a moon, faint and sickly but still a moon, and if the clouds permitted, after midnight it would be brighter.
淡月空ニ懸リテ其ノ影明カナラズ若シ涼風ノ浮雲ヲ拂ヒ去ルアラバ半月光欄トシテ鏡ノ如クナラント思ワルルノ景色ナリ(井上訳)
それでも月はおぼろながら出ており、雲さえ切れれば、更けてからいい月夜になりそうな気配であった。(平井訳)
もちろん平井訳は読みやすいし、雰囲気のある訳文である。でも原文の世界を大きく離れてしまった井上の訳文に、なぜか妖しい雰囲気を感じてときめいてしまう。
The neighbors deposed to have heard it shriek at night.
隣家ノモノノ云フ所二ヨレバ夜中彼(カ)ノ小児(コドモ)ハ恰モ縊殺(クビリコロ)サルガ如キ苦痛ノ聲ヲ發スルコト屡(シバシバ)アリタリトカヤ。(井上訳)
近所の人の証言によると、夜分など、よくヒーヒーいう泣き声が聞こえたそうである。(平井訳)
「縊り殺さる」という井上の訳語の強烈さ。原文にはそういう単語はないのだけれど、井上は単語と単語のあいだを読み、自分の言葉で作品の世界を想像しながら訳を作り上げていったのだろう。外国語にも漢詩にも通じた井上だから可能な訳文なのだと思う。
It seemed one winter night
又聞ク北風窓ヲ吹イテ寒威(カンイ)凛冽氷柱軒二垂テ水晶ヲ欺キ積雪枝ヲ圧シテ柳絮(リュウジョ)二似タリ實二數重(スチャク)ノ衾裏(キンリ)モ猶ホ鉄ノ如ク冷ヤカナルヲ覚ユル冬夜ノコトナルガ (井上訳)
なんでも冬の晩のことで(平井訳)
わずか数語の英文でも、井上はリットンの世界を想像して、これだけの言葉を紡ぎ出す。井上のように作品世界にのめり込んだ訳も読んでいてまた楽しい。翻訳文学初期だから可能だった訳なのかもしれないが、井上の訳で不老不死の男とのやりとりである後半部分を読んでみたかった…と思う。
(読了日 2018年2月4日)