メリメ「イールのヴィーナス」が夏目漱石「野分」に出ているとフォロワーさんから教えて頂き、早速読んでみた。
ヴィーナスがどたり、どたり、と音をたてながら階段を登っていく場面の語りは、どたり、どたりという擬音語が効いている。夏目漱石が「イールのヴィーナス」の少しユーモラスな、でも怖い…という魅力を楽しみつつ作品にしたことが伝わってきて感動。
漱石が「野分」を発表したのは1906年。メリメが訳されたのは大正になってからではないだろうか? 漱石が読んだのは英訳だったのだろうか? でもメリメ「イールのヴィーナス」の魅力を捉えているのはさすがである。
そして私には分からなかった男を殺してしまった立像の心理も、漱石はきちんと読み解いている。
以下、長くなるが「野分」より「イールのヴィーナス」について紹介されている箇所。
指輪は魔物である。沙翁は指輪を種に幾多の波瀾を描いた。若い男と若い女を目に見えぬ空裏に繋ぐものは恋である。恋をそのまま手にとらすものは指輪である。
三重にうねる細き金の波の、環と合うて膨れ上るただ中を穿ちて、動くなよと、安らかに据えたる宝石の、眩ゆさは天が下を射れど、毀たねば波の中より奪いがたき運命は、君ありての妾、妾故にの君である。男は白き指もろ共に指輪を見詰めている。
「こんな指輪だったのか知らん」と男が云う。女は寄り添うて同じ長椅子を二人の間に分つ。
「昔しさる好事家がヴィーナスの銅像を掘り出して、吾が庭の眺めにと橄欖の香の濃く吹くあたりに据えたそうです」
「それは御話? 突然なのね」
「それから或日テニスをしていたら……」
「あら、ちっとも分らないわ。誰がテニスをするの。銅像を掘り出した人なの?」
「銅像を掘り出したのは人足で、テニスをしたのは銅像を掘り出さした主人の方です」「どっちだって同じじゃありませんか」
「主人と人足と同じじゃ少し困る」
「いいえさ、やっぱり掘り出した人がテニスをしたんでしょう」
「そう強情を御張りになるなら、それでよろしい。――では掘り出した人がテニスをする……」
「強情じゃない事よ。じゃ銅像を掘り出さした方がテニスをするの、ね。いいでしょう」
「どっちでも同じでさあ」
「あら、あなた、御怒りなすったの。だから掘り出さした方だって、あやまっているじゃありませんか」
「ハハハハあやまらなくってもいいです。それでテニスをしているとね。指輪が邪魔になって、ラケットが思うように使えないんです。そこで、それをはずしてね、どこかへ置こうと思ったが小さいものだから置きなくすといけない。――大事な指輪ですよ。結納の指輪なんです」
「誰と結婚をなさるの?」
「誰とって、そいつは少し――やっぱりさる令嬢とです」
「あら、お話しになってもいじゃありませんか」
「隠す訳じゃないが……」
「じゃ話してちょうだい。ね、いいでしょう。相手はどなたなの?」
「そいつは弱りましたね。実は忘れちまった」
「それじゃ、ずるいわ」
「だって、メリメの本を貸しちまってちょっと調べられないですもの」
「どうせ、御貸しになったんでしょうよ。ようございます」
「困ったな。せっかくのところで名前を忘れたもんだから進行する事が出来なくなった。――じゃ今日は御やめにして今度その令嬢の名を調べてから御話をしましょう」
「いやだわ。せっかくのところでよしたり、なんかして」
「だって名前を知らないんですもの」
「だからその先を話してちょうだいな」
「名前はなくってもいいのですか」
「ええ」
「そうか、そんなら早くすればよかった。――それでいろいろ考えた末、ようやく考えついて、ヴィーナスの小指へちょっとはめたんです」
「うまいところへ気がついたのね。詩的じゃありませんか」
「ところがテニスが済んでから、すっかりそれを忘れてしまって、しかも例の令嬢を連れに田舎へ旅行してから気がついたのです。しかしいまさらどうもする事が出来ないから、それなりにして、未来の細君にはちょっとしたでき合の指環を買って結納にしたのです」
「厭な方ね。不人情だわ」
「だって忘れたんだから仕方がない」
「忘れるなんて、不人情だわ」
「僕なら忘れないんだが、異人だから忘れちまったんです」
「ホホホホ異人だって」
「そこで結納も滞りなく済んでから、うちへ帰っていよいよ結婚の晩に――」でわざと句を切る。
「結婚の晩にどうしたの」
「結婚の晩にね。庭のヴィーナスがどたりどたりと玄関を上がって……」
「おおいやだ」
「どたりどたりと二階を上がって」
「怖いわ」
「寝室の戸をあけて」
「気味がわるいわ」
「気味がわるければ、そこいらで、やめて置きましょう」
「だけれど、しまいにどうなるの」
「だから、どたり、どたりと寝室の戸をあけて」
「そこは、よしてちょうだい。ただしまいにどうなるの」
「では間を抜きましょう。――あした見たら男は冷めたくなって死んでたそうです。ヴィーナスに抱きつかれたところだけ紫色に変ってたと云います」
夏目漱石「野分」より
メリメの魅力をあますところなく把握する漱石も、いや、そういう漱石だからこそ、学問と金は無関係ということを感じていたのだろう。学問と金を結びつけようとする向きに怒りも覚えていたのだろう。
現代でも、こうした漱石の嘆きに共感する人は多いのではないだろうか。明治の世も、平成の世も学問が冷遇されているという点では変化はないのだなあ…と悲しい気もする。
どうしたら学問で金がとれるだろうと云う質問ほど馬鹿気た事はない。学問は学者になるものである。金になるものではない。学問をして金をとる工夫を考えるのは北極へ行って虎狩をするようなものである。
「野分」より
一般の世人は労力と金の関係について大なる誤謬を有している。彼らは相応の学問をすれば相応の金がとれる見込のあるものだと思う。そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器械である。
「野分」より
「学問すなわち物の理がわかると云う事と生活の自由すなわち金があると云う事とは独立して関係のないのみならず、かえって反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金を取るから学者にはなれないのである。学者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理窟がわからないから、その代りに金を儲ける」
「野分」より
夏目漱石「野分」は少し理屈っぽいところが少々読みにくい気がするけれど、読んでいて平成の若者と話をしているような思いがした。世が変わらないことを喜ぶべきか、それとも嘆くべきか微妙だが…。
2018年3月21日読了