作者:ジャン・レイ
訳者:森茂太郎
世界幻想文学大全 怪奇小説精華収録
ロッテルダムの港で反故の積み荷から偶然にも拾い上げられたフランスの古雑誌。その間にはドイツ語、フランス語で綴られた二冊のノートがはさまっていた。ノートの書き手は互いに面識がないらしい。そのノートには、異次元がしのびよる者の存在が、異次元の空間が存在することが記されていた。
ドイツ語の手記には、三人姉妹と女中二人で暮らしている家から次々と突然人が消え、町の他の家からも人が消えていく様子が書かれている。同時に何かが家の中に存在し、その何かに姉妹のなかのメータは激しい憎悪をつのらせる。
見えない何かはなんだか可愛らしく、姉妹であるはずのメータの憎悪のほうが怖ろしい…ことに気がつき怖くなる。
「あれはだんだん無鉄砲になってきました。なんとかして、わたしに会いたがるのです。だしぬけに、わたしはあれの気配を感じます。うまく言えませんが、なんだか深々とした愛情に包まれたような気持ちになるのです。わたしは、メータが来るかもしれないということをわからせようと努めます。すると、風がふとやむように、あれの気配が消え失せるのです。」
メータは「わたし」が何かをかくまっていたことを罵る。
「牛乳を運ぶところを見たんだから、いまいましい悪魔の娘。おまえはあいつを蘇らせてしまった。そうよ、ヒューネバインさんが命を落とした晩、わたしから受けた傷のために、あいつはもう少しで死にかけていたのに。わかった? 不死身じゃないのよ、おまえさんの幽霊は! 今度こそ息の根をとめてやる。おまえたち亡霊を待ち受ける運命がどんなに怖ろしいものか、たんと思い知るがいいわ。つぎはお前の晩よ、あばずれ!覚悟はいいね?」
優しい存在だけど目に見えないなにかが侵入してくるし、身近な姉妹はかくも猛り狂うし、どこに行けばいいのやら…と不安な気持ちにさせながら、ドイツ語のノートは途中で切られている。
フランス語のノートには、異次元の空間が実際の空間と重なりあっている事実が示唆されている。読んでいるうちに私たちのまわりの現実がとても脆いもので、いつのまにか異次元にいるのではないか…そんな怖さにおそわれてくる。
金に困った「ぼく」はべレゴネガセの路地に足を踏み入れ、三つの扉のひとつを押し開け皿を盗んで骨董商に売る。
今度は三つの家に入ってみる。どの家もそっくり同じである。そこから皿を持ち出して売るが、翌日訪れるとまた皿は戻っている。
さらに今度は路地をまがると、また同じ家が三軒。さらに路地をすすむとまた同じ家が現れる。「ぼく」は現実の世界へ戻ろうと駆けだすが、べレゴネガセのざわめきは現実世界モレンシュトラーセのすぐそばまで追いかけてくる。
やがてモレンシュトラーセでは住民が姿を消していき、むごたらしい殺人事件が相次ぐ。そうした不可解な事件が起きているのは、あの不思議なべレゴガネセの路地のあたりだということに「ぼく」は気がつく。
最後、「ぼく」はべレゴガネセの路地に火をはなつ。火をはなつ前にのぞいた家にはやはり皿が戻っていた。そこにはなぜか女文字で書かれた手紙が。「ぼく」はその手紙だけをもらっていく。そしてノートは「吸血鬼(サラトーガ)がぼくを」という言葉で終わる。
この二冊のノートを読んだあと、「わたし」は古物商の孫を訪ねる。孫はノートには大火の前から起きていたとされる残虐行為が、大火の最中に引き起こされたものであることを伝える。
「言い伝えでは、この事件のあいだ、時間が圧縮されているんです。ちょうどべレゴガネセの運命的な路地では、空間が圧縮されていたようにね。たとえばハンブルク市の古文書を見ると、そこにはたしかに数々の残虐行為が記されています。ただこの残虐行為は、謎の犯罪組織によって、大火の最中に犯されたことになっているのです。未曾有の犯罪、略奪、暴動、血迷った群衆、どれも正真正銘の事実であることはたしかです。が、こうした事件はいずうれも災厄の前ー何日も前から生じていたのです。お判りでしょうな、時間と空間の収縮という、さきほど引いた言葉の意味は?」
異次元空間に迷い込んでいるというSFのような短編。だが街をさすらうときの抒情性、異次元のなかで現実に戻してくれるミルクやワインという食べ物の描写は、少しSFとは違うものなのかも…。いずれにしても確かだと思い込んでいる空間が、かくも脆いものとは…と怖くなった。
読了日:2018年5月3日