チェスタトン「マンアライヴ」二部四章第403回
我らがウィンターボトムも世間をあざけりながら、こう言い切っている。「稀な存在ではあるが、素晴らしい肉体をもつ或る人々にとって、一夫多妻制とは女性の多様性を認識するものにすぎない。友愛というものが、男性の多様性を認識するものであのと同じことである」どちらにしても、多様性をもとめる傾向は、信頼できる調査からも認められている。こうした傾向は、たとえば黒人女に先立たれた男やもめが第二の妻として、アルビノのと結婚をするようなことなどに多く認められる。こうした傾向のひとは、パタゴニアの女性の大きな抱擁から解放されると、想像力豊かな本能がはたらいて、エスキモーの心慰められる姿へと行き着く。この傾向に、被告が属していることは明らかである。もし行き当たりばったりの運命や耐えがたい誘惑が、そうした人々の弁明となるのなら、被告にはあきらかに理由がある。
Our own world-scorning Winterbottom has even dared to say, `For a certain rare and fine physical type polygamy is but the realization of the variety of females, as comradeship is the realization of the variety of males.’ In any case, the type that tends to variety is recognized by all authoritative inquirers. Such a type, if the widower of a negress, does in many ascertained cases espouse ~en seconde noces~ an albino; such a type, when freed from the gigantic embraces of a female Patagonian, will often evolve from its own imaginative instinct the consoling figure of an Eskimo. To such a type there can be no doubt that the prisoner belongs. If blind doom and unbearable temptation constitute any slight excuse for a man, there is no doubt that he has these excuses.
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