原文はネット上より。
M.R.ジェイムズ怪談選集1紀田順一郎訳(創元推理文庫)
初出:1893年10月23日の茶話会にて朗読
「ベルメル・マガジン」1895年12月号掲載
主人公の悪い男はM.R.ジェイムズや同僚たちがモデルかも!
M.R.ジェイムズが最初の作品「アルベリックの貼雑帳」で書いたのは、聞かせる相手とおそらく共通の趣味であった古本にまつわる怪談であった。
第二作めの「消えた心臓」の主人公アブニー氏は、「こうるさい隠居」「杓子定規な生活」「異端信仰の研究では右に出る者はない」「本の虫以外の何者でもない」「長身で痩せた、謹厳そう」な人物。
これはM.R.ジェイムズ、あるいはその同僚たちのようではないか。聞いている者たちは、最初「まるで君のことみたいだね」「いや君みたいだ」と笑って反応したのでは…?でも、途中からまさかの展開に、さぞ慄然としたことだろう。
怪談を語りつつも自虐精神、ユーモア精神は忘れない…ところが英国怪談らしさであり、M.R.ジェイムズの魅力ではないだろうか。ただ、そのユーモア精神は、なかなか私たち日本人には理解しがたいもの。それがM.R.ジェイムズの分かりやすいようでいて分かりにくい部分になっているのかも…と思った。
なぜ家について細かく語るのか?
M.R.ジェイムズがモデルと思われる悪人が金ぴかの豪邸に住んでいるという滑稽味もあるのでは?
まずはアブニー氏の住まいアズワービー館に少年ステファンが到着する描写から始まる。怖い思いをすることになるステファンのことにはほとんど触れず、ひたすらアズワービー邸の外観について語る。その意図とは…? そしてどのような家だったのだろうか?
「アン女王時代に建てられた丈の高い、真四角の赤い煉瓦造り」
「家には細長くせまい窓がたくさんあって、それぞれが白木の桟で細かく仕切られていた。」
「玄関を飾る切妻壁(ぺデイメント)には丸窓が穿たれていた」
クイーン・アン様式の家だから、だいたい、このような感じの家ではないだろうか?
ただ前部分の「列柱様式の回廊」をめぐる表現、その他、M.R.ジェイムズのこの家を語る口調にかすかに皮肉めいたものを感じると同時に、物語の萌芽を感じてしまうのだが、考えすぎだろうか?
a stone-pillared porch had been added in the purer classical style of 1790
「石柱のある玄関だけは1790年代の古典派様式により増築されていた」
1790年代なら、英語は”1790’s”になるのでは…という細かな疑問もあるのだが、それはさて置き(でも原文好きの皆様、教えてください)
この作品で最初の犯行が起きたのは1792年3月。古代の秘密儀式へと傾倒していったアブニー氏は、まず犯行を犯すまえに儀式の場らしい雰囲気をととのえようと、犠牲者をむかえいれる玄関を古典建築めいたものに増築した…と考えられないか?
There were wings to right and left, connected by curious glazed galleries, supported by colonnades, with the central block.
「左右の翼は入念に磨きたてられた列柱様式の回廊で、それが母屋へと連絡していた」
glazedの意味が「なめらかな」なのか「ガラスばり」なのか悩ましい。だが「ガラスばり」と考えると、当時、ガラスはまだ高価なものだったはずだから、この家の成金趣味めいたところを所々で仄めかしているM.R.ジェイムズの意図に重なっていく。
英文の順番のまま大まかな意味を考えると、左右に別棟の建物があって、妙なガラスばりの回廊でつながっていて、その回廊は列柱で支えられていて… central blockって何だろう?紀田氏の訳にも見当たらない。想像しにくいけど、中央にブロック塀があって、その両横にガラスはりの回廊がのびていくのだろうか…。
Each was surmounted by an ornamental cupola with a gilded vane.
「両側ともに装飾の丸屋根をいただき、そのうえに金色の風見が光っていた」
gildedは「金めっきの」という意味で、あまり良い意味で使われていないようである。ここでも過度に家を立派にみせているアブニー氏を揶揄しているのでは…という気がする。
In the marble-paved hall stood a fine group of Mithras slaying a bull,
「大理石を敷きつめたホールには、一群の選ばれたミスラ教徒が牡牛を地祭りにあげている彫像が置かれていたが」
大理石の産地が多いフランスやイタリアと異なり、イギリスで「大理石を敷きつめたホール」はかなりお金持ち感があるのではないだろうか?
M.R.ジェイムズや同僚たちが、こういうお金持ち感のある建物を好んだ、住んでいた…とは思えない。むしろ擦り切れたカーペットをしいて生活していたようなイメージがある…先入観だけど。
自分たちをモデルにしたような悪い主人公が、自分たちの住まいとは大違いのお金持ち感のある家に住んでいる…というところにも、英国らしいユーモア感があるのではないだろうか?
古書愛とかは似ているけれど、暮らしぶりは成金傾向で違うから、悪いことをする人物として描いても許されたのではないだろうか?
丁寧に説明して訳すと逃げ出す「怖さ」というものの勝手さよ…!
紀田氏の訳はとても丁寧に調べて訳されていて、こんなに丁寧な訳でM.R.ジェイムズ全作品が読めるとは…なんて幸せな世だろうと感謝したくなる。
その一方で分かりやすい表現をしてくださるあまり、怖さがなくなってしまう箇所も。分かりやすさと怖さは両立しないのかも…と思う。紀田氏はあまり怪談を耳で聞かない方かも…という印象を訳文から受けた。訳は正しくても、この言葉では怖さが減じてしまう…と思った箇所も幾箇所か。ほんとうに「怖さ」とは勝手な感情よ…と思いつつ、間違っていないけど違和感を感じた箇所を以下にメモ。
The moon was shining through the window, and he was gazing at a figure which lay in the bath.
「月光がさしこんでいて、だれかが浴槽のなかに横たわっているのが見えた」
and the arms began to stir.
「両腕がもぞもぞ動きはじめた」
「もぞもぞ」の方が怖いのか、怖くないのか…人によって感覚が違うかとも思うが。