1960年『新潮』に発表、三島35歳のとき。
建造、清子の若夫婦は一見したところ倹約家の堅実な夫婦。だが実は浅草で待ち合わせた老婆と示し合わせて、とある有閑マダムの同窓会にエロショーで出演する……という意外な展開。詳しくは下記URLに。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%B8%87%E5%86%86%E7%85%8E%E9%A4%85
タイトル「百万年煎餅」にしても、若夫婦の短篇に書かれると少し滑稽なまでの倹約ぶりもー通帳をいくつかに分けてX計画Y計画Z計画という名前をあたえる、見世物の入場料40円について黒鯛の切り身も40円と比較させる—、ハンドバッグにしまおうにもはみ出すくらい大きい「百万円煎餅」も、いたるところに滑稽な要素が散りばめられている。
名前からして清子と、清らかに思える若妻が唇に百万円煎餅の粉をつけている滑稽さ。やがて滑稽さがエロショーへの出演という意外さに転じて、清らかさの裏にある滑稽さ、意外さに驚くが、あまり哀しい気がしないのは、この若夫婦があまり人の気配を感じない、典型的な清らかな若夫婦で書かれているからだろうか?
「憂国」のヒロインは麗子、「ミランダ」の主人公は「清吉」、「百万円煎餅」のヒロインは清子。この名前のつけ方からして、人間を描こうとするよりも、あるステレオタイプの人物像が三島の頭のなかにあるのだろうか……とも思う。
三島由紀夫は「老後はミステリを書きたい」とラジオ放送で語ったことがあるそうだが、こういうネーミングをみると、あまりミステリには向いていないのかも……。
三島由紀夫自選短編集では「憂国」「百万円煎餅」の順である。
でも今回、私が読んだ橋本治編「三島由紀夫 ミランダ」では 「百万円煎餅」 「憂国」 の順である。
同じように若夫婦を題材にとっている両作品だが、読者視点だと悲劇の「憂国」のあとでは滑稽味の強い 「百万円煎餅」 を読みたいが、書き手の視点だと「笑い」から「悲劇」なのだろうか?……と思いつつ頁をとじる。
2019.06.01読了